美術家 新宅睦仁のブログ。ほぼエッセイ、ときどき現代の美術とアート。

アメリカのバス

 

ロサンゼルスでバスに乗るのはホームレスだけだ。

何かの記事で読んだし、同僚もそう言っていた。ふつうの人は車を持っているから使うこともない。実際、バス停にいるのは傍目にも困窮した人か、影のある人が多い。

この地で車は、日本における靴と同じである。靴をはいていないのは異常であり、何らかの事件か精神障害を疑われる。でなければ常軌を逸した貧乏人というわけだ。

あいにく私には自転車しかないが、車が必要な時はすべてUBERで一年近くをやり過ごしてきた。金があるのではない。来るか来ないかもあやしいバスに振り回されることを思えば、その方がよっぽど安いと考えるだけだ。

それが先日、友人の手引きで初めてバスに乗ることになった。料金は一律1.75ドルでどこまでも乗れる。私は1ドル札を2枚渡したが、お釣りはもらえない。こちらでは小銭を持っていないおまえが悪いのである。

週末の夕刻で、座席はすべて埋まっていた。中の方に移動して、全体を見渡す。ホームレス特有の臭いこそなかったが、乗っている人々には「何かしら問題がある」ように思われた。

よく、35歳を過ぎて結婚していない人は、人間的に何かしら問題があると言われる。その「何か」がいったい何なのかと言えば、独断と偏見による言いがかりでしかない。

とはいえ、あながち見当外れでもない。現に、「日本人か?」と陽気に話しかけてきたメキシコ系とおぼしき中年男性が、二言三言口を聞くと、「クビになったんだ」と切り出し、「小銭をくれ」とせがんできた。

いくつ目かのバス停で、車椅子の男性が待っていた。黒人の女性運転手が、尻と胸に二人ずつおめでたのような巨体を揺らしながら乗降用のスロープを広げ、入り口付近の折り畳み式になっている座席の人々を立たせた。

その障害者用のスペースに男性を運ぶと、船の錨のようなフックで四方から車椅子を厳重に固定した。そのまま海に沈められそうな雰囲気である。

直後に、キャリーカートに青いゴミ袋を抱えたホームレスらしい女性が乗り込んできた。フードをすっぽりかぶり、足元がおぼつかない。バスが走り出す。よろめいた彼女の荷物が車椅子の男性にぶつかる。彼は痛っと声を上げ、文句を言った。

しかし彼女は謝らず、むしろ言い返した。「あたしゃホームレスなんだよ!」日頃の鬱憤を晴らすかのように叫ぶ。瞬く間に盛大な口論に発展する。「ふざけんなこのアバズレ!」「そんなところにいるあんたが悪いのさ。消え失せな!」いわゆるFワードが飛び交う。

バックミラー越しに女性運転手が制止にかかる。「二人とも降りなさい!」「続けるなら警察を呼びます」――日本ではおよそ考えられない毅然とした態度に、さすがアメリカだと変に感心する。

それでも口論はやまない。運転手は車内スピーカーでアナウンスする。「トラブルが続くなら、バスは運行を中止します」。あくまで冷静な運転手をよそに、罵倒の応酬が続く。そうこうする内、次のバス停に辿り着く。

「乗客は全員降りてください。このバスはもう運行しません」――運転手はマイクを介さず宣言した。

車内がどよめく。当然だろう。なぜ問題を起こした張本人ではなく、全員が降ろされなければならないのか。乗客の一人が「行くとこがあるのに、どうすればいいんだ?」と詰め寄ったが、運転手はとにかく降りろという。

車椅子の拘束も解かれ、そして本当に全員が降ろされる。すっかり日の落ちた、誰も用のないバス停に、乗客数十人が取り残される。個人主義、独立の精神が尊ばれるアメリカにおいて、これはいかにもおかしくて笑ってしまう。日本の伝統、連帯責任と変わらないではないか。

頑なに動かないホームレスの女性を残して空になった車内で、運転手は仁王立ちでどこかと連絡を取っている。数分後、後続のバスが来て、そちらに乗り換えるよう言われた。

二台分の乗客が押し込まれたバスは、しかし、流れる空気は同じだった。独断でも偏見でもなんでもいいが、そこには否定しがたく「何かしら問題」があった。

このロサンゼルスにおいて、バスはホームレスよろしく底辺の人々のためにあるのであって、決して「みんなの乗り物」としてあるのではない。格差の先の分断社会、持つ者と持たざる者は、たとえ死んでも生まれ変わっても、わずか袖すり合うこともない。

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