鵜の目鷹の目おまえの目

最終更新: 2017/08/22

今日は一日中ぼうっとしている。昨夜、少々飲み過ぎたせいだろう。

思考能力が日頃の5割減くらいである。つまり脳みそが半分になっているのと同じである。それで、悩みも楽しみも、いいことも悪いことも、よく考えられず、あー、そー、ふーん、はー、へー、という感じで、何もかもがどうでもいい。

ぼんやりと、いわゆる精神薄弱の人は、このような日々を過ごしているのかもしれないと考えてみたりする。

そういえば、昨日のニュースで、欧米での失明原因の第一位らしい、加齢黄斑変性という病気の治療についての記事を目にした。長らく不治の病とされていたが、失明した患者の眼にカメラを埋め込んで、脳の視覚野だかなんだかと接続することで、光を認識することができるようになったとのことだった。

それはまあよかったねという話なのだが、加齢黄斑変性とはなんぞやと思い検索をかけてみた。で、以下のサイトを見つけた。
http://www.nichigan.or.jp/public/disease/momaku_karei.jsp

主な症状のイメージ画像が掲載されていたのだが、視界の「中心部のゆがみ」や「中心部のゆがみと中心暗点」というのが、とても興味深かった。つまり、視界の真ん中がぐにゃりと歪んで見える、または、歪みかつ視界の真ん中あたりが暗く見えるということである。

単純に、こんなふうに見えたら嫌だなあと思うと同時に、そもそも、大なり小なり皆それぞれ違う見え方をしているんだろうなとも思う。

たとえば背の高低で世界は違って見えるのだし、体力・気力の多少でも異なってくる。それこそ、眼球という器官という観点では皆おなじかもしれないが、大きさや形、色つや、眼圧や視力だって個体差があって当然であろう。

自分にはこう見えているから現実はこうであると思うのは一向にかまわないが、それは決して絶対ではないのだろう。

さらにもひとつそういえば、先日ラジオでトイレの話をしていた。日本トイレ協会とかいう団体のお偉いさんが登場し、日本のトイレ事情について語っていた。日本のトイレは世界一と言われるが、まだまだ課題はあるのだという。

たとえば、トイレの床が濡れている場合。これは本当によくあることで、健常者ならば別に気にも止めないが、盲導犬を連れている方にとっては、これが非常に困るという。なぜなら、飼い主が用を足している間、盲導犬は伏せをして待つようにしつけられているのだ。そのため、床が濡れていると、盲導犬がびしょびしょになってしまう。

盲導犬と飼い主の距離は非常に近いので、これでは飼い主まで濡れてしまう。それで、飼い主は止むをえず、床を直に触って濡れているかどうかを確かめざるを得ないのである。

ぼくは思わず、うえっ、それはマジで汚ねえわ、やだやだやだと思ってしまったが、いやいや違う、そんなトイレはいかん! けしからん! 絶対に許さん!

しかし、この話は本当に目からウロコで、世の中には目に見えない問題があるんだなあと、ぼくらしくもなく公共心を刺激されたのであった。まあ、トイレをこよなく愛するぼくの性癖のためでもあるのだが。

それはともかく、これらの話を総括すると、この世界には人の数だけ世界があるということである。だとすると、もっとあらゆることに希望を持ってもいいような気がする。クソなこともクソじゃない。コンプレックスもコンプレックスじゃない。ブサイクもブサイクじゃない。いろいろ、大丈夫。ちゃんと”その眼”でしっかり見てくれる人がいる。たぶん。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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