頭でっかちなど居ない

最終更新: 2017/08/22

下り坂をゴミ山がゆっくりと降りてくる。しかしそれはゴミ山ではなくホームレスの全財産で、僕はすれ違い様に、彼の薄汚れた顔を一瞥する。

目は合わなかった。彼はただ、前を、彼の背たけよりも高い、たくさんの財産を見据えていた。が、やはり僕にはゴミ山としか見えなかった。

人にはそれぞれ価値観があるという。別れた理由でよく出てくるあの価値観である。

僕の財産はゴミじゃない、と僕は思っている。僕の絵も、文も、はたまた生活に必要な細々とした一切を、僕はゴミとは思わない。それこそが僕の価値観だ。

価値観はエゴイズムの物差しである。人は、自分の価値観でしか人や物事を計ることができない。

ある人の物差しは、例えば30センチ。30センチ以内のことであれば、ミリ単位で判断でき、よく理解できる。しかしその範囲を越えたものには、目測りで望むしかない。30センチより遠くなればなるほど目測りは曖昧になり、よくわからなくなっていく。ゼロセンチ以下も然り。

だからそうなのだと、僕は思う。人が怒り争うことが、いつも決まって小さな小さな取るに足らない事柄なのはミリ単位の世界だからだ。一ミリだ二ミリだと具体的過ぎる数値でせめぎ合うから、和解の仕様がない。逆に言えば大きすぎることでは、人は怒るに怒れない。想像もつかないからだ。案外に、怒るということは想像力を必要とするものなのかもしれない。

例えば、見てもいない浮気現場に憤る。何年経っても怒りを思い出せるほどに憤る。それはもう、並々ならぬ想像力の為せる業。

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わかりやすく投げ銭で気持ちを表明してみようという方は、天に徳を積めます!

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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