遠い外国の、海の彼方の、だけどみんな知ってる有名な、パリ。
2017/08/22
フランスのパリで、2015年11月13日夜(日本時間14日早朝)、同時多発テロが起きた。
イスラム国のメンバーと見られる複数の犯人が、身体に巻きつけた高性能爆弾で自爆したり、銃を乱射したりし、死者は130人を超えた。コンサート会場での銃乱射の際には、犯人グループは「アッラーアクバル(神は偉大なり)」と叫んでいたという。
その後、世界各地の有名な建物がフランス国旗の青・白・赤のトリコロールカラーに染まった。それから、SNSの知人・友人その他知らない人たちのプロフィール画像が、これまたぱたぱたとトリコロールカラーに染められていった。
このトリコロールカラーにするというのは、どうやら哀悼の意とか、協力とか団結の気持ちを表しているらしい。しかし、ひどく茶番じみている気がするのは、私のひねた性格のせいだろうか。漠然と気持ちが悪く、反吐が出る感じがするのは気のせいだろうか。
今回のパリ同時多発テロの数日前には、 レバノンでも自爆テロがあり、200人以上が死傷している。その時、世界はレバノンに対し何らかのアクションを起こしたろうか。少なくとも私は、寡聞にして知らない。つまり、世界はレバノンを総スルーしたわけである。
レバノンに限らず、夥しい人々が日々この手の自爆テロで亡くなっている。その事実を、決して”誰も知らない”というわけではないだろう。しかし、爆発的なトリコロールカラーの増殖を見ていると、なんだかこの世界でとてつもなく”久しぶり”に、自爆テロという”珍しい”悲惨な事件が起こったかのような錯覚を覚えてしまう。
いつか、何かで読んだ。命の重みは生まれた国や身分によって天と地ほども違う。第三世界で1000人殺されても事件にもならないが、主要先進国で10人も殺されれば、世界が義憤と落涙にむせ返る。もっとも、それもまた主要先進国の住人が信じている世界での話であって、相も変わらず第三世界の人々は蚊帳の外である。
とはいえ、それは至極人間的な反応ではあると思う。きっとパリは、私の香水であり、服であり、深夜番組のパリコレであり、新婚旅行先であり、エッフェル塔のお土産なのである。つまり、心理的距離が非常に近いのである。
一方のレバノンは、どこにあるんだかすらよくわからないし、皮膚の色も、何人が住んでるのか、食べ物や雰囲気といったイメージの断片すらも浮かんでこない。そうなると、私たちにとってレバノンはこの世界上に存在しないも同然なのである。
我々人間は、知らない人やこと、つまり想像できないことを悲しむことはできないのだ。それが、世界の人々の、レバノンとパリとの反応の差に呆れるほど如実に表れているのだと思う。
それにしても、これから世界は加速度的に混沌としていくだろう。そんなことを思っていた折、今後の世界の流れの縮図とも読めるような一節を見つけた。【戦争における「人殺し」の心理学 [デーヴ グロスマン(著) 安原 和見 (翻訳)/ちくま学芸文庫]】より、以下転載する。
“(レバノン)戦争の最中に、白旗もあげないで車が一台こっちに走ってきたんだ。その五分ばかり前に来た車にはRPG(ロケット推進式擲弾)をもったパレスチナ人が四人乗ってやがって、仲間が三人殺られたばかりだった。だから今度は、その近づいてきたプジョーにみんなで銃をぶっ放した。乗ってたのは家族連れだったよ。子供が三人。おれは泣いた。けどどうしようもなかったんだ。それが大問題なんだ。……子供に親父におふくろ。家族全員みな殺しさ。だけど、ほかにどうしようもなかったんだ。
一九八二年レバノン駐屯イスラエル予備兵ガービイ・ベイシャイン
グウィン・ダイア「戦争」より”
宣戦布告、あるいは戦争終結のような明確な線引きはもはやありえず、どこまでも灰色の疑心暗鬼が膨らんでゆく。いつ何が起こってもおかしくない。隣人はテロリストかもしれない。そう、語源の通り、テロリストとは、まさに恐怖(テロル)を行使する者なのだ。
そのような時代を生きていくにあたって、正直、自分はどうしたらいいのか、答えらしい答えはない。ただ、いたずらに防衛しても、怯えても、死ぬときは死ぬ。それならいっそ、可能な限り素直に信じ、馬鹿みたいに無邪気に生きていったほうがよほどマシなのではないだろうか。
人間、疑い出せばきりがない。紀元前400年の、古代中国の思想書「列子」に、すでにそのように書かれている。有名な疑心暗鬼という故事である。
正確には「疑心暗鬼を生ず」というが、こんな話である。ある日、木こりの男が斧を無くした。何かの拍子から、隣人が斧を盗んだのではないかという疑いを抱くようになる。すると、隣人の挙動の一切が怪しく、まさにそのように見えてくる。しかし結局は、単に自分が森に斧を忘れてきただけだったのである。つまり、疑う心が現実をねじ曲げてしまっていたのだ。
このような疑心の鬼が跋扈する世界は、ひどく生きにくいに違いない。少なくとも私は、それならばまだ、まぬけにも騙されて死んだほうがいいような気がする。
確かに、悪い人というのはいる。しかしそれは、決して多くはない。いやもっと、ほとんどいないと言ってもいいだろうと思う。
もう20年以上前のこと、父が、高速のパーキングエリアで言ったことを思い出す。その時、車を降りた父は、カギを閉めずに歩き出した。私は閉め忘れだと思い、そのことを伝えた。すると父は「ええよええよ、悪い人はそうおるもんじゃないけえ」と、そのまま歩いていったのだった。
あるいは投げやりにも聞こえるが、確かにその通りなのだと思う。実際、日本の各都市における犯罪者の割合は、高いところでもせいぜい2%に過ぎない。アメリカでもその10倍程度だ。つまりあくまでも大多数は罪のない善良な人々に違いないのだ。それを拡大解釈し、世界そのものに心を開く余裕を無くしてしまうのだとすれば、残るのは拒絶と無理解しかないだろう。
とりあえず、無防備に信じてみてもいいのではないか。結局は、国家もテロ集団も個から成り立っている。個の意志の集合がこの世界を作るのだ。なんていうのは、ふざけたメルヘンチックな理想論でしかなく、それこそ反吐が出ると言われかねない。いつの時代も、往々にして現実はごく一部の権力者が個を、そして世界を牛耳っていたりもする。
しかし、だとしても、やはり無力な個として生きていくしか道はない。それぞれの個は、これからどうするべきかと大きく考える前に、今日、いま、どう過ごすかという小さなことをこそ考えるべきではないだろうか。そのように考えると、私の答えは明快である。幼少の頃、姉と喧嘩した時に、父によく言われた言葉である。「兄弟げんかは戦争の始まり」だと。確かにその通りで、人類史上初めての殺人は、アベルとカインの兄弟げんかに始まるのである。
力み勇んで大風呂敷を広げる必要はない。何はなくとも「いま目の前にいる人と仲良くすること」。取り急ぎ、それ以外にできることはないと思う。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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