死んだあちらと生きてるこちら

  2017/08/22

先週末、母方の祖母が亡くなった。

それで、広島の実家に帰ってきた。新幹線と電車を乗り継ぎ片道6時間超かかり、22時過ぎにようやく辿りついた母方の実家は、お通夜の提灯がひっそりと灯っていた。

しかし、敷居をまたぐや馬鹿騒ぎと言っても差し支えない雰囲気で、昨年結婚した妹の旦那など「こんな賑やかな通夜に来たのは初めてじゃ」と呆れていた。

そんな雰囲気で呑み喰いし、そのまま崩れ落ちるように寝た。

翌日、親戚のうちの女性陣が朝ごはんを用意する音で目が覚めた。顔を洗って、おにぎりと、味噌汁を食べた。誰かの差し入れらしいミスタードーナツもあったけど、ぼくは糖分とカロリーを気にして食べなかった。

6人くらいいた小学生にもならない子供たちは、朝っぱらから心底うれしそうにドーナツをパクついていた。かわいいなあと思う。そういう笑顔を眺めるのは、素直に幸福なことだと思う。しかし、自分も子供を、というか結婚を、とはならない。

ここ数年ばかり、ぼくは結婚結婚と言い続けてきたのだけれど、ここにきて、はたとどうでもよくなった。むしろ、結婚などまっぴらごめんだという心持ちである。

たいそうな理由はないけれど、強いて言えば、同棲して、毎日他人が居る生活にうんざりした。飽き飽きした。たとえばこの先一、二年を、結婚をする自分と、一人で生活してゆく自分を並べて考えたとき、素直に後者に魅力を感じる。まあ、そもそもが気分屋なので、今だけかもしれない。でも、今はそう思うのだから、そのようにすればいいのだと思う。

各々が喪服に着替えて、葬儀場に母の運転する車で向かった。流れゆく田舎の緑が、夏らしく、しかし葬式らしくはなく、ゆったりと萌えていた。ずいぶんと早く着いて、葬儀が始まるまで、ゆうに一時間はあった。

親族の控室で、所在なく時間をつぶす。徐々に兄弟や親戚が集まり始める。いつかぼくにとって遠い大人だった人たちは老境に入り、おなじ子供だった人たちは大人になり親になり、それぞれが“例外なく”小さな手を引いていた。どんな親類の集まりにもはみ出し者はつきものだが、何を隠そうそれは自分なのであった。

以前は、そのような状況に引け目とまではいかないが、ある種の心苦しさを感じたものだが、今は本当にどうでもよくなっていた。むしろ、例外である自分に誇らしさすら感じられるのだった。

子供たちの歓声、それから断続的に泣き声が上がる。大人のさとす声、あやす声、なだめる声。そしてスキンシップ。撫でて、抱きしめて、その他いろいろ。

ぼくはただ、眺めている。

葬儀の時間が近づき、ぞろぞろと式場に入ってゆく。間もなく月並みで事務的なアナウンスが流れ始める。「さるすべりが真っ赤に染まったこの夏の日に……」云々。それからお坊さんが二人ほど入ってきて、読経。その途中、隣に座っていた甥が読経を真似てあーうーとやり始めて、思わず破顔してしまう。

焼香。順番に立ち上がって霊前に歩みより、例の粉をパラパラとやって手を合わせる。この時、小さな子供がいる人は片腕で抱きかかえながらだったりする。その背中を、ぼくは眺める。いろいろと思う。子供が大きくなったなあとか、あいつも立派に父親だなあとか、なんとか、そういうことを、いろいろ。

ぼくはきっと婚期を逃すんだろうなと思う。三十三歳の今時分になって、数年来こじらせていた結婚したい病が嘘のように雲散霧消し、彼らの歩む”ふつうの”人生が、はるか遠くかすんでしまったのである。

読経が続く中、親類縁者の背中、背中を眺める。それぞれの人生が透けて見えるような気がする。いろんな人生があるよね、と思う。でも、みんな死んじゃうんだよね、とも思う。

これから一人で生きていこうとすることに、あるいは後悔するかもしれないという不安もなくはない。でも、何をおいても大事なのは今この瞬間の気持ちだろうと、思う。いや、もっと、信じている。

雑なんだか丁寧なんだかよくわからない感じで手向けられたというか詰め込まれた花が満載の棺桶が閉じられ、運び出されて葬儀は終わる。親族はマイクロバスに乗って火葬場に向かう。車内は、果たして賑やかであった。ぼくは窓際で、ひとり黙して窓外を眺めていた。なんとなく、しゃべったり笑ったりするのが面倒だったから。UV加工らしい、薄く紫色がかった窓ガラス越しに見る景色は、現実味がひどく薄かった。

火葬場に着く。棺桶が運び出される。親族はそれにつきしたがう。最後にもう一度、棺桶を空けて、ちょっと顔を撫でたり、すすり泣いたりして、また棺桶を閉じる。炉にくべる。ほどなくボッという、ストーブの着火のような音が響く。祖父の時にも思ったが、形式的に過ぎる通夜葬式火葬において、その音だけが唯一のリアル、真実の音だと思う。

焼けるまで一時間半ほどかかるという。その間、親族は別室で用意された弁当を食べる。「わあ、豪華な弁当じゃ」とか言って、みんなでわいわい食べる。もちろんぼくも食べる。

いまこの瞬間にも、あの祖母は、いよいよ死んでいっている。ぶすぶすだか、じゅうじゅうだか、ごーっだか、とにかくは燃えている。絶対に死の否定が不可能な執拗さで燃えさかっている。

一方のわれわれは、そのすぐ傍らで、食べるという、どうしようもなく生命に溢れた行為をしている。そのコントラストが、頭の中に立ち上がる。喫煙者と非喫煙者の肺に見るコントラストにも似た肉感をともなって、重く、粘っこく、広がる。

それは、単なる会食ではなく、死んだあなたと、生きているわれわれとを、どうにか峻別しようとする儀式のようにも思われた。あちらは、(死んだ死んだ死んだ……)と念を押されまくり、こちらは(生きてる生きてる生きてる……)と念を押しまくっているような。

あの世の彼岸と、この世の此岸との境界は、結局のところ、その都度その都度、食べたりやったり寝たりすることでしか証明できない曖昧なものなのかもしれない。なんていう、ひと夏の甘酸っぱい思い出である。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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