未知は不安で、幸福で

最終更新: 2017/08/22

占われた人がいる。星とか気とか相とか、古今東西占いの類を上げたらきりがないけれど、とにかくは占われたらしい。未来を。

未だ来ていないから未来。今は現に在るから現在。女三人よれば最近のコスメが、服が、スゥィーツが、肌が、体型が、男が、といろいろ話してやかましいから姦しい。

でまあ、その占いの結果は良いものだったらしい。もちろん悪いよりはいいだろうけれど、未来が良いと知って今日、今、何が変わるんだろう。

前向きになれるんだろうか、幸福な気持ちになるんだろうか、安寧な生活を送れるようになるのだろうか。おそらく、高額の宝くじを当てるほどには何も変わらない。同じ日々が続いていくだけ。

ただ唯一違うのは、頭の中に「幸福な未来が待っている」という泡のような期待。

期待して生きることは、たぶん悪くない。この先には何かいいことがある、きっと何かある、そう思って生きられるなら、無数の夜、気だるい朝の反復も、どうにか生きていける気がする。

しかしまあ、結局たいした喜びもなく棺桶に入る場合もあるだろう。そういう人はたぶん、期待とは自分の思い描く何かが訪れることをただただ待ちわびることだと勘違いしてしまったんだろう。

期待とは喜びとか悲しみとかいう単純な感情の一種なのだと思う。期待すること、できること、それ自体が非常に幸福なことなのだと。だから未来に過剰なほどの期待が抱けている今は、僕にとっての黄金時代なのだと思う。だからだから、尽きる前に掘りまくる。よくいうゴールドラッシュだ。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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