新しい絵とサクラサクランニング
2017/08/22
土曜日の午後、多摩川を走る僕の対岸では桜が満開になっていた。
しかし空気が悪いせいか何か、遠く望む桜並木は灰色がかっていて、言うなればそのピンクは村上隆などの使う鮮やかなピンクではなくデ・クーニングのちょっと沈んだピンク色に近かった(画家アピール)。
橋の上から、河川敷を見下ろしながら走った。家族やカップルや大学生らがボールで遊んだりご飯を食べたり、とにかくは楽しそうだった。
けど、別にうらやましくはなくて、ただただほほえましかった。
不意に、信号待ちの車の一台から、リコーダーで「翼をください」を吹いているのが聞こえてきて、それにはたまらず僕はひとりニコニコと笑ってしまった。はたから見たらランニングハイになった危ないやつにしか見えなかったろう。
そしてこれはいつも居るが釣れているところを一度も見たことがない釣り人たち。何かきっと法則があると思うがかなりの精度で等間隔に座って、各々釣り糸を垂れていた。
息を切らしながらぼくは、あの釣り人らは魚を釣るという行為そのものの中に何か喜びを見いだしているんだろう、だからきっと彼らは釣り糸を垂れたその瞬間から“楽しい”のだ。
なんて小難しいことを考えながら僕はいつもランニングしてるんだけど、ぼくはランニングしている時がいちばんくらいに頭がよく働く。いろんな発想を思いつくし、いろんな考えを深められる、気がする。DAKARA、so、レッツ、ランニン。
で、これは新しい絵。フォークとナイフとガムテープを描いている。
それはまあいいんだけど今朝、また朝っぱらから小難しいこと思った。
よく「ダメな時はダメだし良いときは良い」みたいなことを言うけど、それって降水確率50パーセントみたいなもんで、さっぱり何も言ってないじゃないかと。
告白してどうなるかみたいなときに「成功するときはするしせん時はせんよ」「まあ、そうなあ」なんて会話が成り立つけど、これって厳密に言えば「わかりません」ってことでしかない、よね?
だけどこういう言い回しって、僕自身いままで何十回何百回と使ったし、またこれからもきっと使うだろう。
意味のない言葉、しかしそれは意味がないことに意味があったりする、ものだと思う。
厳密に、厳密に、僕らの会話のいちいちを検証したとしたら、一体どれだけ意味のない言葉が含まれているんだろう。
逆にどれだけ意味のある言葉を交わしているんだろう。
言葉の限界というか、究極、言葉は単なる音となって、または無音となって、阿吽の呼吸なんて域に踏み込んでいくんだろう。
でも僕としては、ほとんどのことは言わなきゃ、言ってくれなきゃわかんないよと。だからうざったいほどに言葉を重ね続けたい、なんて。
最近ぼくはセンチメンタルジャーニー。なんか、今日はわけのわからん抽象的なことを書いてしまった、わ、また明日。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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