故意か過失か策略か

最終更新: 2017/08/22

すごく久しぶりに考えてみる。諦めることを、やめることを。

普段、自分はほんとにそのことを考えてないんだなと、つくづく思う。まさに露ほども、考えられない。

いわゆる夢を追うことをやめたら、どうすればいいんだろうと、真剣に悩む。

何かを叶えようとすることなんかとっととやめて、諦めて、どっか適当な企業に収まるほうが余程安心で楽なことなのに、そうなってしまった時の僕は大丈夫か? と自分を疑いたくなる。

そうなった時の自分の現実の生活を想像すると、ついつい情熱のかけらもない、覇気のない虚ろな目をした自分を思い浮かべてしまう。

何千何万という人たちに右習えして、当たり前に朝は起きて夜は眠って、公共料金や税金の動向に一喜一憂し、貯蓄や老後の心配をもそもそもそもそ難しい顔でして、目立ちようもなく、世間に埋もれ生活に埋もれ、自信の一つも見つけられずに、自分のアイデンティティさえ失って、僕は誰でなんだっけ、で消えてゆく。

自分を素晴らしいと思うのは結構なことだとは思うんだ。けれど自分の子供が出来たりした時に、自分を最高だと“思ってる“お父さんてどうなんだろう。少なくとも僕は、その時には実際に現実に素晴らしいお父さんでありたいと思う。

結婚とかも、前よりは余程リアルに考えられる年齢になったわけだけど、今は、自分がまったくの無名で家族を構成してしまったりすると、自分にがっかりして自分を大嫌いになってしまいそうで、怖い。

あるいは、案ずるより生むが易しなのかもしれないけれど、例えば小学生、例えば中学生、例えば高校生、あの頃の、なんの、なんの面白みもない自己紹介は二度とはしたくないんだ。

「中3で、今は帰宅部だけど前はサッカーやってました」なんて、そんな自分を二度とは見たくないんだ。僕はあくまで大学からの「絵描いてる」という自己紹介が好きで、ただそれだけの為に絵描いてんのかもしれないってくらいに。たぶん、絵を描いてるっていう特別意識が、僕のいびつで強大な自信を、危うく保っている、そんな気がする。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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