忘れすぎている

最終更新: 2017/08/22

自分の才能は枯渇してしまったのかもしれない、と悩む人がいる。言っておくが僕自身のことじゃない。

古今東西そのような人は居て、マークロスコなどは、自分の才能の枯渇に怯え続けて、最後は自殺した。

わからなくもない。むしろよくわかる。

話がずれるけど、不器用であることを武器にするのはとてもしょうもないことなんだけど、きっと、不器用だったんだろう。そして、損な人なんだと思う。

何でも人並みに楽しめればいい、少なくとも楽しんでいるフリでもすればいい。そうすれば、じきに自分の脳が騙されて、本当に楽しいような気がしてくるものなのだと思う。でもそうできないこともわかる。そうしたくない、そうはなりたくないこともわかる。いろんなことがわかる。わかってしまうのがまた、不器用である所以であるような気もする。

はたから見るととても頑固で、それで強靱なようにも感じられるのに、しかし今にも折れそうだったりする。理解されたい反面、理解されることを拒んでいる。もうどうでもいいからほうっておいて欲しいと思いつつ、本当にほうっておかれたらどうしようかと恐れている。自分は優しくない、と公言することで安心できたりする。

いろいろあって、複雑なんだよ。とかいって、本当はすごく単純にできている。

最近おもしろい話があった。人はあまりきつく言われると、要するにあまりストレートに言われると、脳はそれを攻撃と受け取って拒否するようにできているらしい。

人を動かしたいなら近道よりも回り道、とか、そういうことになるんだろうか、ね。まあ、どうしようもなくせっかちな僕には回り道なんてできそうもない、と、まず断っておくことで、安心している自分がいるのであった。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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