僕という誰か
2017/08/22
母親にメールをしておいた。
僕は秋葉原には居なかったから無事ですよ、と。
すると母から、信じてますから、と帰ってきた。
初め、母は僕の運を信じているのかと思った。私の息子は災難には巻き込まれない、という神懸かり的な。
しかし人にツッコまれ、僕が人殺しをしないということを信じている、ということだと気がついた。ああそうか、と思った。
わけあってベランダで体操座りをしている。この家に越してきて、初めてのことだ。なんだか懐かしくて、悪くない。
すげえ事件だと思う。その場に居たら、僕はきっと人命救助などせず、写メを撮ってたろうと思う。僕の興味はその辺にあることは、たぶん、確かだと思う。死の匂いがする、怪我だとか、鬱だとかが、僕は好きなんだと思う。
話は飛んで、今日は絵をほめられた。ひどく、うれしかった。最近のもやもやが、一掃されるぐらいうれしかった。苦しいけれど、やっててよかったと思え、なくもない。取り柄と呼べるようことが、あってよかった、本当。
しかし明日のことはわからない。僕はまた自信を喪失しているかもしれない、けれど、得たり失ったりできる何か一つがあって、よかった。
無差別殺人、もちろん最悪な行為だろうけれど、そんなことをしてしまう気持ちが、わからなくもない気がしてしまう。たとえば、自殺するやつを僕はあまり非難したくはない。気持ちがわかるからだ。
共感できる部分があるからってその行為が許されるわけじゃないけど、下手をすれば、僕もそっちに行ってしまう可能性がある。大いにある。
俗に言う「お母さんが悲しんでるぞ!」というような文句は、決定的な時、まったく意味をなさないことを知っている。
それがどうしようもなく悲しい時があった。なぜに、こうも人と人とは別々の存在なんだろうと。
ことが起こって、洗いざらいいろんなことを調べても、究極的には原因不明なんだと思う。だって、僕がいまここでこうしてんのも、なんだかんだ原因なんてわからない。何が良い何が悪いって、きっと山の天気ぐらい流動的なもんだと思う。
うまいまとめが思いつかないんだけど、まあ、今はまだ、いろいろ大丈夫だろう。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
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