年の瀬にしろなんにしろ過ぎゆくばかり

  2017/08/22

つまり、どこにも行きたくない-DVC00242.jpg

早朝なら空いているだろうと、徹夜で大掃除をしてから、5時前に家を出た。
新横浜に向かった。博多行きの新幹線に乗った。が、甘かった。
ほとんど立ちっぱなしで、しばしば眠気で膝ががくがくなりながら、ようやくで広島に帰りつく。
昔から突然に帰るのが好きなので(寅さんの影響?)、いついつ帰るとも伝えてないし、最寄駅への迎えも頼まず、なんとなくとぼとぼいう感じで実家まで歩く。といってもまあ10分くらいの道のり。
家には祖母しかいなかった。母は仕事、父は高知へ放浪の旅に出て五日ほど帰ってきていないと、祖母が教えてくれた。ぼくの妙に伸びた髪を見て、「ともちゃんは髪が長い方がええ。坊主にしたらおかしいよ」と、祖母は耳が遠いのと自己主張が強いのとSGIに支えられた自己肯定感とが相まって、ほとんど一方的にそう言って、ひとり笑い声をあげた。「なんか食べてねえ?おばあちゃんは2階に居るけえね。ええかね?」
どうでもよかったので苦笑いしてうんうんと適当にうなずいて、祖母を追い払った。
なんだか淋しくなった。
ぼくの実家は、もっとにぎやかなところじゃなかったかしらと。
実家に帰ってきてまでひとりで何か作ってモソモソ食べるのもあれなので、お好み焼きを食べに行くことにした。それが今回の画像。
「おかえりや」という、一人であることを余計さびしくさせる名前のお好み焼き屋にいった。
お昼にはまだ早かったせいか、店内には僕と店員の二人きりという格好になった。
お好み焼き(東京でいうところの広島焼き)とビールを頼む。暇だったのか、店員が僕に愛想たっぷりに「ゆっくりしていってねえ!」「焼けるまでちょっと待ってねえ!」なんて言うので、僕はなんだか機嫌よくなって、「ゆっくりでいいですよ」と笑った。
そんなこんなで、昼間っからビールを二杯も飲んでしまった。
アルコール特有の気持ちの高揚から、次第に僕は店員に妙な親しみがわいてきて、二人きりの店内が妙に居心地よく、いとおしく感じられた。なんなら「仕事なんかしてないで一緒に飲もうYO!」という気分だった。
が、そんな気持ちもつかの間、不意に若いカップルが入店してきて、ぼくの中の高揚感が弾けるように消えた。先程まで心地好かった顔面の紅潮が、たちまちに“年の瀬に昼間からひとりで酒を飲む憐れな奴”という風を語り始めるようで、ぼくはしらけた感じでそそくさと店を出た。
それから、あてもなくふらふらと歩いた。
子供のころによく遊んでいた草むらや、といっても、とうの昔に草むらは潰されアスファルトの駐車場になってしまっているのだが、そこに草むらがあり駆け回っていた記憶を投影して、感慨にふける。
そうして毎度のことだが「変わったよな」と思う。
家路に着く。何千回と通った道を歩いて。
が、そこにはアパートが建ち、行き止まりになってしまっていた。アパートが建ったのは知っていたが、その帰り道が潰されるとはゆめにも思わなかった。
アパートを、うらめしく思った。
ふと、その脇にあるドブ川を見やった。昔、追いかけっこをしていて派手に落ちたことのある、いわば馴染み深いドブ川だった。それが、干上がっていた。枯れ葉がこんもりと積もり、ぴくりとも動かなかった。
さびしかった。
回れ右して、回り道をしながら、思った。
何もかも変わってしまう。何一つとして変わらないものは無い。
最悪なことも、最高なことも、ずっとは続かない。仮に最悪なことがずっと続くとしたら、それは最高なこともずっと続くという証明となるに違いなく、しかしそんなことはありえないわけで、だからまあ、最悪でも安心して、最高でも安心せず、とにかくはすべて受け入れて生きていくしかないんじゃないか、なんて。
またまた大袈裟なという感じだけれど、僕はじきに最高になる、そう確信して、えもいわれぬ喜びが込み上げてきたぼくは馬鹿かもしれない、否、馬鹿そのものだ。馬鹿。もっと、ずっと、馬鹿。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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    2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。

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