去る、住まう

最終更新: 2017/08/22

引っ越した。国立市から台東区に。

約30キロの移動である。物理的な数字で見るとたいしたことのない距離ではあるが、情緒的には決して小さくない。

もう、あの愛おしき飲み屋の数々に行くことはないだろう。まさにおしどり夫婦で居酒屋を営んでいたおっさんにおばちゃん。たまたま隣に座ったぼくに酒をおごってくれたおばちゃん。一人で本を読みながら飲んでいるとからんできたおっさん。入店直後からやたらと気安くツマミや酒を分けてくれたおばちゃん。みんな、おっさんとおばちゃん。

それに近所のダイエーも、単なるスーパーではあるが、この二年の間に軽く300回は行ったろうから、愛着も少なからずある。あの、妙にねばっこいイントネーションで「ありがとうございましたァ」と言う、あごのしゃくれたレジ打ちの女性とも、もう会うことはないだろう。

むろん、不器量と言って差し支えない彼女に好意なんてこれっぽっちもなかったとはいえ、週に2、3回は顔を合わせていたのだから、自宅のドアノブくらいの愛着はある。いや、窓枠くらいの、あるいは下駄箱くらいの、とにかくは一定の愛着があるのである。

いつも、レジ打ちをする彼女の顔を盗み見ながら、彼氏いないんだろうなあ、モテないだろうなあ、結婚も厳しいだろうなあと、刺されかねない余計なお世話なことを思っていた。

とにかくは、そのようなすべてとお別れしたのである。それが引っ越すということである。

新しい街は、今まで暮らした東京、神奈川の中で一番都会である。家の近くには大きな道路が通っていて、車の音が大きく響いてくる。しかし、スーパーも駅も至近である。そして、当初二人で住む予定だったので、何だか申し訳ないくらいに広い。とはいえ、家賃もビッグなので、ぼくの懐事情ははなはだ手狭で圧死しそうである。なんて、うまいことを言おうとしているが、全然うまくない。

ただ、ほとんどゴミ屋敷と化していた前の家で、生活も精神も荒み果てていたので、それを考えれば天国のような暮らしである。そうすると、自然、”ちゃんと生活しよう”という気持ちが湧いてくるのであった。

たとえば昨日など、カレイの切り身が半額だったので、白身フライにして晩酌のアテとした。我ながら”まさか”と思ってしまう。この一年というもの、居酒屋通いと、半額になっている惣菜がメインであり、料理らしきものといえば野菜炒めがせいぜいだったこのぼくが、小麦粉をつけて玉子をつけてパン粉をつけてフライだなんて、まさか。

さらに、洗い物も溜めずに、すぐに洗ってしまう。前の家では、洗い物は基本的に放置で、使うときに都度ひとつふたつ適当に洗う。そんなことを繰り返していると、シンクからは冗談抜きでドブの臭いがするようになり、思わず吐きそうになるほどであった。

確かに、環境は人を変えるものだと思う。心にゆとりが生じているのを感じる。いろいろ、何もかも、うまくいくような気がする。

強いて言えば、快適すぎて、どうしようもなく家から出たくなくなってしまったし、今すぐ家に帰りたい。もはや、「むろん、どこにも行きたくない。」どころの話ではない。もう、是が非でも美術家になるしかないと思う。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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