エロい有名人の死
2016/04/08
川島なお美が死んだ。
起きがけの、寝ぼけまなこで、トイレで携帯をいじっていて知った。反射的に、「まじかよ」と思った。
それほどの思い入れはないが、確かにそれは”まじかよ”であった。
つい最近、彼女の激ヤセを案じる報道を目にしたが、ぜんぜん、死ぬ気はしなかった。死はおろか、ガンという単語さえも、一切思い浮かばなかった。そもそもが、死というものがとても遠いビジュアルというか、印象を持っていた。
なぜなら、私の中で彼女はエロい女優としてあった。エロは元気の証である。あるいは”エロス”ならば”タナトス”と結びつくかもしれないが、単なるエロと死は限りなく遠い。
およそ連想しようのないかけ離れた事物が結びつくとき、人は衝撃を受ける。
ちょうど、飯島愛が死んだときもこんな感じだった。彼女のエロビを――現代ではエロDVDと呼ぶべきであろうが――お気に入りとして視聴及び使用していた身としては、エロと死がとてつもないギャップ、衝撃として感じられたのである。
だって、あんなに元気そうにフェラチオをして、腰を振り、あえいでいた彼女が、呼吸を止めてしまったという。ピクリとも動かなくなり、冷たくなってしまったのだという。じきに燃やされ、骨に、灰になるのだという。
その違和感、無常感たるや、祖父が死んだ時の比ではない。祖父は確かに死んでしかるべき”感じ”になっていたが、飯島愛はぜんぜん死んでしかるべき”感じ”にはなっていなかった。同じように、川島なお美もまったく死んでしかるべき”感じ”にはなっていなかったのだ。
と、飯島愛と同列に語ってしまったが、川島なお美はAV女優ではない。しかし、失楽園での濡れ場云々の話題を多感な時期に受け取った私としては、ほとんど似たような分類になってしまっているのである。
そうして、あのエロい、元気な女優が死んだ。まじかよ。
死というものの絶対的な力を思わずにはいられない。まだ訪れてはいないけれども、いずれ必ず訪れる自分の死もまた絶対だということを、ひしひしと感じて戦慄する。
かの良寛は、「死ぬ時節には死ぬがよく候」などと言っている。しかし、まだ死ぬべきではないような人の死というものが確かにあって、やはりそれは、死ぬべきだろう人にはない重みを持っている。たぶん、それはそのまま、滅多なことでは感じることのできない、リアルな死の重みなのだろうと思う。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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