一瞬のたわむれに

最終更新: 2017/08/22

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始まる前から終わりを想像してしまう癖がいつからか染みついてしまい、消えない。
終わりを擬音で表すなら“ポッカリ”な気がする。逆に始まりは“ふつふつ” あたりじゃないかしら、と思う。
去年死んだじいさんの墓参りに行った。もちろんそこにじいさんは居なかった。墓に行って、じいさんを思い出しただけだ。特に悲しくもなかった。ただ、2、3年前にその墓にそのじいさんと一緒に来たことを思い出して、なんだか妙な気分になった。
あっち側に行ってしまったんだなあ、とかいう。次は自分の番、とか。
墓はきれいにしとかにゃあいけん、とか言って生前、じいさんは墓に水をかけたり周りの雑草を抜いたり落ち葉を掃いたりしてたわけだけど、今は、その“きれいにしとかにゃあいけん墓”の中に自分が入ってしまった。
拝啓、“きれいにしとかにゃあいけん墓”の居心地はいかがでしょうか。
僕はホウキで周りを掃いて、母は水をかけて墓石を磨いていた。「死んだらつまらんもんよ。人から忘れられるばっかりよ」と、愚痴とも独り言ともつかない調子で、母がつぶやく。
それでも死ななければならない。
よく言う、幾多の艱難辛苦があって、それでも生きなければならない、とかいう言葉よりもよほど絶対的な確実さで、僕らは“それでも死ななければならない”
いつもは何も感じてないし、あんまり考えてない。しかし、時に、その事実は途方もない。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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