ぼくらの、しかし誰のアート

最終更新: 2017/08/22

つまり、どこにも行きたくない-F1000883.jpg

昨日のパーティーのこと。
とりあえずビールをたくさん飲んだ。やたらめったらお菓子を食べた。スナック菓子に飽きたころサラミに出会えてうれしかった。そして日本酒を飲んだ。それらが全部タダってのがうれしさを倍増させた、が、タダより高いものはないと、いつか母だか父だかが言っていた。
しかしアートなんてのはもともとタダが化けて出たようなもんだろうから、いやしかし、そうだとしたらタダより高いものはないなんて二律背反的なものって、たぶんアートの本質だったりするんじゃないか。
昨日、絵描く以外の仕事、つまり生きる糧の仕事は何やってんの?って聞いたら「風俗」って、あんまりにもサラッと答えられて僕は面食らってしまった。
彼女は「そうでもしなきゃ絵が描けない」と言い、また「友達は居ない」とも言った。
しかし本当にその口調はサラッとあっけらかんとしていて、普通想像されるような湿っぽさや後ろめたさみたいなものが無かった。なにか、不思議だった。
そしてなにより彼女の作品からは、別段“不遇”だとか“屈折”とかいったような印象は受けず、なんだか素直に「良い絵だね」という感じしかなくて、多分に偏見の多い僕としては妙な物足りなさを感じてしまったりして。
絵って、誤解されてこそのメディアなんじゃないかと思う。いくら悲しみを込めても怒りを込めても、たぶん人に伝わるところは少なく、ともすれば真逆で楽しげだったり安穏さだったりを感じられたりもする。
要するに、僕は僕で君は君。悲しいうれしい痛いかゆいお腹がすいたetc.は、そう「ちゃんと口で言ってくんなきゃわかんないよ」ってことなんだと思う。
とにかくはステレオタイプな僕の目はその彼女を“例外”だと感じ、彼女の作品を“意外”だと感じた。彼女がでっかい筆を持ってストロークするところがどうにも想像できなかった。
人は見た目によらない、その通り。
でまあ、しみじみと思ったんだけど、独学で、しかもなんの当てもツテもなくひとり黙々と描き続けてるって、ああ、本当に描きたいから描いてるんだなって、なんだかうらやましいような気もした。
とりあえず今の僕はそういうところからずいぶんと遠ざかってしまってて。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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