はじかれて見上げる空

最終更新: 2017/08/22

今、絵を描き始めてたばこを4本吸ったところで、今は5本目をくわえている。徐々に調子が出てきて、だけど頭の中はあいつの彼女のこと、決して少なくない接点のあったあいつの彼女のことを回想している。

なぜだか一番最初に思い出すのは、べろんべろんに酔ったあいつと道ばたに座ってカップラーメンを食っているところ。いや、正確にはそのカップラーメンの大半を、あいつは2分10秒くらい経った時に食欲の勢いあまってこぼしてしまったのだった。あいつは歩道にぶちまけられたアイボリーの麺の散らばりを見ながら、うらめしそうにわずかに残ったスープをすすっていたっけ。

その後、車で迎えに来たあいつの彼女。訳あって彼女はぶち切れていた。僕は後部座席で一人密かにその原因に気付き、あいつの携帯にその怒りの原因をメールで教えてあげた。あいつは一気に青ざめた。僕はといえば、あーあと、どこまでもヒトゴトで、彼女にあんま怒っちゃいかんよと、そんな言葉くらいしかかけれなかった。

餃子パーティなんてことも、二回ほどやった。その頃のあいつと彼女は、完全に堂に入っている感じで、関係は熟年夫婦のように完成していると言って差し支えなかった。

しかし、何だろう。なんだかんだと、あいつ同様、僕もその彼女のことを一生忘れないんだろう。時々は思い出したりして、そんな子もいたなと、連想連想で色んなことを思い出すんだろう。人と人との関係って、なんだろう。

築かれた瞬間から崩壊が始まる。永遠という言葉はインド人の発明したゼロと同じで、実際には存在しない概念でしかない。だけどその概念を、人はよく口にして、その概念を実際に存在している物体のようにさえ感じて、甘く浸ったりする。永遠に続けばいい、なんてこともよく言われるけれど、本当に永遠に続いてしまったら、いつかは疲れてしまうんだ、ちゃんと、しっかり、くたびれてしまう。

始まりと同様、終わりもまた幸福なことなのだと、そう心から思えるようになる日は来るだろうか。今はまだ、とても思えない、思えそうにない。始まることが、何より素晴らしい気がする。

エンディング、スタッフロールが流れるその時に、すぐに席を立つのではなく、それさえも物語の一部のようにしてしばらく立ち上がれない、立ち上がりたくない、そんな物語は傑作に違いない。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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