絵の中では眠れない
2017/08/22
いつからこんなに眠い人間になってしまったんだろう。いや、退屈な人間という意味ではなくて、
毎日が眠くて眠くて睡魔との戦いが僕の人生そのものかのようですらある。
春眠あかつきを…と言い訳がしたいけれどもはや冬が始まっており、そんなこんなで今日は寝坊してしまい、時計を見ると5時30分だった。寝ぼけた頭でこりゃあもう絵描く時間ないなと惰眠を貪ってしまった。
にも関わらずやっぱり眠い。
今日、へぇーと思ったのは「幸福定量説」という考え方。
この世にある幸福というのは石油とかと同じように有限なモノだとする考え方。
だから誰かが多く幸福を味わえば誰かの幸福が少なくなっている、またはまったくの不幸になってしまっている、ということになる。
そういうもんかもしれないなと思う。少なくとも個々の人生においては幸福と不幸は五分五分で、まあよく出来てるもんだよ人生は、なんていう擦り切れた言説はたぶん本当だろう、というほどの感覚で。
でももっとグローバルに地球単位で考えると、日本とかアメリカとかが世界の幸福を貪っているということになる。
僕らの幸福がどこぞの世界から奪ってきたものだとしたら、愛情じゃい友情じゃいいう一般的に美しい行為・光景も、たかだか悪人の気まぐれのようで、だいたいの現実は作り事に過ぎないということにさえなってしまう。
けどそもそも幸福なんてものは主観的なものである。もしかしたら僕らはいままさに不幸な毎日を送っているのかもしれない。そして僕らの不幸がどこかの幸せを支えていて、もしかしたら地球なんて小さな枠じゃなく、他の何か、星より宇宙よりもっと大きくて遠くて、生命か否か物質か否か存在か否かというような不明な何かが幸せになっているのかもしれない。
まあなんにしろ、幸せかどうかは僕が決めることで。

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在広島在住の現代美術家/WEBデザイナー(WEBデザイン個人事業: SHINTAKU。) 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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