死を待つひと
今年完全にリタイアした父を見ていると、死を待っているように見える。おそらく友達もおらず内弁慶で、社交性に欠ける彼は、社会との接点が無さすぎて腐っていっているのだと思う。何かしら、必要とされ、その必要に応えていく、そのような無限のやり取りが人間には必要なのではないか。
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