安い航空券は高い

便利は高い。不便は安い。古今東西、普遍の真理である。

私が購入した航空券は不便であった。ゆえに安い。ベトナムからアムステルダムまで、日本円にして約4万円。ふつう7〜8万円はするから、ほとんど半額である。

しかし、私は得をしたのではない。なぜなら、乗り換えは2回。直行便であれば12時間ほどのところが、25時間超。そう、単に2倍不便なので、値段が2分の1になっているだけの話なのである。

この条件を許容できるかどうかは人によろうが、私の場合「これはバイトだ」と思うことにしている。空港で待機したり、機内で寝たりするバイトである。その報酬が浮いた4万円ということであれば決して悪くない案件ではないか。

さて、バイト当日、私はベトナムハノイのノイバイ国際空港に出勤した。まず、身体検査及び持ち物チェックを受ける。が、預け入れ荷物に問題があったらしく、個別に呼び出しを食らう。

係員に「この中にバッテリーが入っている」と言われ、スーツケースを開けろという。いかにも自主的に開けさせるようなふりをして、すでに世界標準のTSAロックの鍵で開けられている。なにかにつけて大人の世界は汚い。

あれでもない、これでもないと、極限まできっちり詰め込んだ荷物をひっくり返される。手作りコロッケに味見も何もなく醤油を回しかけるくらいデリカシーのない捜索の結果、モバイル用キーボードが問題だったことが判明する。

それを機内持ち込み荷物に移しかえ、「行ってよし」と言われるが、パズル並みに完璧に収まっていたものをそう簡単に元に戻せるわけがない。思わず「クソが」と日本語で独り言がもれる。

気を取り直し保安検査の列に並ぶ。自分の番が来て、持ち込み荷物からパソコンやデジカメを取り出す。そして靴も脱いでトレイに入れるのだが、これが面倒くさい。

靴まで脱がされるようになったのは2001年にアメリカン航空機で起こった事件が発端となっている。飛行中、男が靴の中に仕込んだプラスチック爆弾で自爆テロを図ったのである。

未遂に終わったのは幸いだったが、以降、そのせいで老いも若きも貴賎も問わず何十億という人間が靴を脱がされるハメになっていると思うと滑稽だ。いっそ彼はテロリストというより「靴脱がし名人」と呼ぶのがふさわしい。

私は靴下で金属探知のゲートをくぐり、両手をあげてボディチェックをうける。ベルト部分や足首あたりを特に念入りにべたべた触られる。

ベルトコンベアに乗ってX線検査を通過した手荷物は、最後に二手に分かれる。ひとつは無問題コースで、もうひとつは事情聴取コースである。結果、後者に向かう。「これはあなたの荷物か」。またしても中を開けられる。

人の家に土足で上がり込むような無遠慮さで調べられ、育毛ローションが取り出される。それが容量的にダメだという。おとなしくハゲちらかしとけと言われているようで、二重の意味で頭にくる。

まだ新品同様の育毛ローションが没収される。さっきの件といい、殺意のあまり「クソが」に加え、「死ね」が口をつく。

ようやく搭乗となる。4時間ほどで中国の西安咸陽(せいあんかんよう)国際空港に着く。

イミグレーションを終えると、時刻は22時を回っている。次の便まで10時間。つまり、空港で一晩明かすことになる。酒でもかっくらってベンチで寝ようと試みる。

だだっ広い空港に、人の姿はまばらで、ほとんどの店はすでに閉まっている。意地でも酒を飲もうと歩きに歩いて見つけた店に勇んで入るも、クレジットカードお断りで、アリペイしか使えないという。

日本のペイペイすら持っていないのに、そんなローカルの中華サービスなど使っているわけがない。さらに2、3軒ほど見つけたものの、同様の返答で言葉を失う。

やっと酒が飲めると思っていただけに、心底がっかりして、疲労と怒りが込み上げてくる。「国際空港でクレジットカード使えないとかアホかよ! 習近平○ね!」そう、ひとり日本語で毒づいて、はっと我に返る。

どんな瑣末な発言も、中華AIが秒速で捕捉して国家警備員に連行されないとも限らない。なんならその後、消息不明になってもおかしくない。もはや手遅れかもしれないが、「習近平、もっとがんばれよ」と、小さく言い直しておく。

万年眠りの浅いおっさんがしらふでベンチで寝られるわけもなく、朝、ほぼ徹夜の状態で搭乗手続きに向かう。

ふたたび例の荷物チェック及び身体検査を受ける。私は空港から一歩も外に出ていないのに、である。これでは「ベトナムの検査なんか信用できないから、中国でもう一回ちゃんとやるわ」と言っているのと同じではないか。

とにかくは、また問答無用で煩雑極まりないすべての検査を受けさせられる。ふたたび荷物がひっかかる。今度はトラベルポーチから鼻毛用のハサミが槍玉に挙げられる。先が丸くないので危険ということで没収される。

睡眠不足で朦朧とする頭が熱くなり、耳から髄液が漏れ出すような怒りを覚える。「だったらベトナムで没収しとけよ!」と反射的に口をつく(が、あくまで独り言であり小声である)。

百歩譲ってそれが危険物だとしたら、ベトナムから中国までの機内は、私という危険因子によってトラブルのリスクが高まっていたということではないか。

いや、私だけが例外ではないはずだ。1件の重大事故の裏には多数の事故寸前が発生しているという「ヒヤリハットの法則」に則ればゆうに300件は見過ごされているはずだ。

ボーイング機でいえば6、7割の乗客の危険物がすり抜けていることになる。そう考えると、いっそテロでも事故でも何が起ころうが運まかせということではないか。ハナから運まかせなら、もったいぶったクソめんどくさい検査なんかやめちまえ。

そもそも人間なんて生まれる前からすべて運まかせなのだ。勝手に生み落とされりゃどう足掻いたって死ぬだけの話。いまさら何が起ころうが、どうせ終わりはみな同じ。死ぬのに幸も不幸もあるものか。

そうこうしているうちに、2時間半ほどで中国内の上海浦東(しゃんはいぷーとん)国際空港に到着する。今回の待ち時間は短い。先を急ぐ。

が、ここでもまた例によって一から十までチェックを受け直す。いい加減にしてほしい。私はすでに国際標準の保安検査を2度も受けているのである。ここまで丸腰で人畜無害、温厚篤実な男がいるだろうか。いっそ模範旅行者として離陸前の機内安全ビデオに出てもおかしくないレベルである。

とかなんとか文句を並べても始まらない。いつの時代も国家権力の前に人民は無力である。他方、アメリカのトランプ大統領なんか、羽田に成田、横田基地でも無検査で、ゆうゆうと入国して、さっさと肉なり寿司なり食ってふんぞり返っているからいまいましい。

(またなんかあったらブッ殺す)という殺気が伝わったのか、今回ばかりはなにごともなく搭乗と相成る。

およそ13時間。アムステルダムに到着する。つまり、バイトが終わる。疲労困憊、心神耗弱。これで報酬4万円。

それは確かにそうなのだが、得した感は極めて薄く、なんとも言えず貧しい気持ちにさえなってきて、己の浅薄さが嫌になる。

たぶん、案外、世の中言うほど金じゃない。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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2025/09/30 更新 老人と話す価値

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