立ち喰いそば屋で哲学する
2017/08/22
前から気になっていた立ち喰いそば屋に行った。おもてに「かけそば一杯200円」と看板が出ていれば、気にならないほうがどうかしている。
薄っぺらなのれんをくぐる。そば食ってとっとと帰れ、暗にそう言っているような雰囲気である。実際、私が「イナリありますか?」とたずねると、ばっさり「ない」と切って捨てられた。
仕方なくそばにかき揚げをのせてもらってよしとした。食べ始めて間もなく、大学生とおぼしき学生が入ってきた。「そば」と言って、しばし悩んで「ちくわ」と添えた。
「ここ、何曜が休みなんですか?」そばが出来上がるまでのわずかな時間に学生が聞いた。「休みはない」おっさんは答えた。「え、前来た時、閉まってたんスけど」そばを受け取って、学生は私の横に立って食べ始めた。
「いつ」「先週の日曜の、9時頃ですかね」そう言うが早いか、おっさんは急に間の抜けた声を出した。「いやごめん。その日はたまたま早く閉めちゃったんだ」「あー、そうだったんスか」「だけどいつもは年中無休で、夜の11時までやってるから。安心して、来てよ」
学生はそばをすすりすすりうなづき、「いや、自分、最近この辺に引っ越して来たんスよ」それを聞くと、おっさんは大げさな身振りで「そりゃあいいところに越してきた」とひとつ手を叩き、「だって、うちの店がある」と悪びれもせずに言った。学生は笑って、「いやほんと、いい店っス」「そうだろ。安くてうまい。こんないい店めったにないよ? だからみんな、ここで仕事帰りなんかにちゃちゃっと食って帰る」
「ほんと最高っス。自分、自炊とか嫌なんスよ。洗い物とか出るじゃないですか」おっさんは何度もうなずいて、「だからうちみたいな店がある」と誇るように言った。「しかしあれだ、君がここに来たってことは、誰かが居なくなったってことだよ」――学生の頭上にほとんど物理的な「ハテナ」が浮かんだのがわかった。むろん私の頭上にも。
「だってそうだろ? 毎年転勤やなんかで、必ず誰かがどこかに行くんだ」なんだ、そんな単純な話だったのかと気が抜ける。「でも、その誰かの代わりに君が来た」そのセリフは妙に芝居じみていた。「だから、うちの店もまたやっていけるってわけだ」
それは戯れ言とも思えるが、どうして偉大な真理のように深く響いて沁みるものがあった。学生も同じらしく、「ほんと、いいところに来たっス」と、しみじみと言った。それから照れて鼻をすするようにずずとつゆを飲み干した。私もつられて飲み干した。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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