彼はプロか、素人か。
なぜだか、映画のオーディションを受けることになった。
マスコミ関係で働いているらしいシンガポーリアンの知人が言うには、日本人のちょい役が必要なのだという。
言うまでもなく、私は俳優ではない。やる気のないサラリーマン、または売れない美術家に過ぎない。容姿についての自信は高めだが、それはあくまで勘違いの自己評価であるし、もとより演技の経験など皆無である。しかし、承認欲求の奴隷の私であるから、映画出演と聞けば、その響きにまんざらでもない気になる。
それはともかく真面目な話、たとえちょい役でも、外国で日本人の役者を確保するのは簡単ではないのだろう。仮に日本であれば、たとえ自己主張の権化の私とて、同年代の俳優志望の知り合いに喜んでこの機会を差し上げるところである。私にとって演技なんていうものは冗談に過ぎないが、彼にとっては人生そのものであって本気なのだから、私なんかが出ていくこと自体が失礼だ。
とはいえここは日本ではないので、冗談の私がのこのことオーディションを受けに行ったのである。
そこはシンガポール中心部にある立派な会社で、しかし日曜のために人気はなく静かだった。知人に連絡を入れると、間もなく担当者らしいヒジャブをつけた女性とともに現れた。
正直、西洋的なるものの極みであるオフィスビルにおいて、そのベールはいかにも違和感があった。しかし、個々人の思想・信条の自由が現実のものとして機能しているというのは、まったく素晴らしいことだと思う。日本であれば、そもそも面接で落とされ、ついに仕事にありつけないだろう。
彼女に連れられて高層階に移動して、一室に通される。その場にプロデューサーみたいな人がいるわけではなく、写真と映像で撮影し、後日それを元に選考するのだという。簡単なビデオを見せられ、どのようなシーンで、どのような演技が必要かという説明を受ける。
その時、彼女自らが、このような表情をするんだと実演してくれる。笑い、怒り、驚き、彼女の表情はくるくると実に鮮やかに切り変わる。外人らしいと言えばそれまでだが、ヒジャブに対して漠然と抑圧的なイメージを持っていた私にとって、それは少なからず驚きであった。
そして、私の演じる段になった。言われたように、笑ってみる。自分なりに、怒ってみる。状況を想像して、驚いてみる。しかし、これがうまくいかない。もちろん、私はそのすべての感情を知っている。リアルな情動として感じ、現実場面で露わにして人に伝えて見せたこともある。何度もある。にも関わらず、うまくいかない。
それはなぜか。思うに、私は私が何をしているのか、よくわかっていないのだ。顔をどう動かすとどうなるか、身体をどう使うとどうなるか。あるいはそれがどのように見えるか、見られるか。
そこまで考えて、私はひとり合点した。これこそプロと素人の違いだろうと。絵と同じで、素人は、自分の筆使いや、色、形が、どのような効果があり、どのような意味を持つかを知らないし、わからないのである。
おこがましくも自分を絵のプロとして語らせていただくなら、少なくとも私は、自分が何をしていて、どのように見えるかをわかっている。だから私は、いくら傍目には楽で簡単そうに見えようとも、バスキアのような殴り描きをしない。いや、できないのである。左官屋が単色を塗っただけのようなニューマンにしろ、子供の落書きにしか見えないトゥオンブリーにしろ、それらが実はとてつもなく高度で難しいことを、私は知っているからだ。
そんなこんなで何度かの大根役者どころか単なる失態を演じたのち、なんとかこれでということになり、私のオーディションは終わった。別れ際、ヒジャブの女性はお世辞か何か、あなたの驚いた顔はとてもよかったと言って真似て見せてくれたが、そちらの方がよっぽど上手で恥ずかしくなる。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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