かっとばした清原くん(覚醒剤で逮捕された清原和博について)

  2016/04/17

元プロ野球選手でタレントの清原和博(48)が、覚せい剤取締法違反容疑で逮捕された。

この件については、もうすでに多くの方がご存じであろう。信じたくないだとか残念だとかやっぱりだとか様々な声が聞こえる。しかし私が感じたのは、もっと抽象的な、諸行無常や盛者必衰といった”世の理”とでもいうべきものである。

というのも、私は野球というか、スポーツ全般に明るくない。そもそもの関心がないし、なんの興味もない。当然、清原の経歴だとか業績だとかはまったくと言っていいほど知らない。

切り口は少ない。それで、私にとって唯一の清原についての感慨のより所である『かっとばせ!キヨハラくん』をもとに書きたいと思う。これは、漫画家の河合じゅんじによるプロ野球のギャグ漫画である。『月刊コロコロコミック』(小学館)で1987年6月号から1994年4月号にかけて連載されていた。ちょうど私が小学生のころで、毎月読んでいたのである。

とはいえ、実際のところそんなにおもしろい漫画というわけではなかったと思う。ただ、どこのクラスにも一人や二人はいるだろう野球好きの友達との会話の糸口として読んでいたような気がする。その頃の私にとって、野球に関する知識は『かっとばせ!キヨハラくん』がすべてだったと言っても過言ではない。

それで、好きな球団はと聞かれると、私は馬鹿のひとつ覚えのように西武ライオンズだと答えていた。なぜなら”キヨハラくん”が所属しているのが西武ライオンズだったからである。それ以上でも以下でもなかった。

その後、清原は番長だとかなんとか、ほとんどチンピラみたく扱われるようになってしまったようだが、私にとっての清原は、いまだに”キヨハラくん”のままである。いかにもギャグ漫画らしいふざけた線画で表現されたキヨハラくんは、おもしろおかしく、いつもライバルの桑田とドタバタなにかしらやり合っているのだった。子供向けの漫画なのだから当然と言えば当然ではあるが、そこには少なくとも罪がなかった。

ところで、スポーツというものは健全かつ爽やかであり、もっと、美しいものだという。一方、家にこもってテレビゲーム等に打ち興じているのは不健全かつ陰鬱であり、ときに将来の犯罪予備軍といった懸念さえ持たれる。言うまでもなく清原は、スポーツの人であった。

いったいに、人間の本質というものはどこでどのように形成されるのだろう。あるいは、人生とは何がどのように作用してどう進んでゆくものなのだろう。かつて強靭な肉体と稀有な能力で球界のスーパースターであった彼は、このような成り行きの萌芽をいついつから宿していたのだろうか。

それは、生まれて初めてバットを握った瞬間かもしれない。あるいは、母親のお腹にいるときからの運命だったのかもしれない。わからない。誰にもわからない。しかし、誰よりもわからないのは他らなぬ清原自身であろう。

ある報道によると、彼は近年孤独であったという。食生活もコンビニ弁当など実に貧相なものであったともいう。そうして甚だ安易な見方ではあるが、そのような不幸が彼を薬物に走らせたのではないかと言われている。

とはいえ、世間の大多数の一般人からすれば、彼はあまりにも幸福な人に違いない。若い頃から才能に恵まれ、圧倒的な金銭と名誉を手にし、そうして誰もが知る有名人になったのである。しかしそれは、不幸と表裏一体だったのかもしれない。かのドストエフスキーがこんなことを言っている。『人間には幸福のほかに、それとまったく同じだけの不幸がつねに必要』なのだと。

なんにしろ、私の中にある愉快で明るい漫画のキヨハラくんと、護送車に乗せられ沈痛な面持ちの、それでいて妙に堂に入った悪人面をした清原をイコールで結ぶのは容易ではない。無理やりに結ぼうとすれば、そこには自ずとどうしようもない歪みが生じてしまい、ほとんど異形の怪物が立ち現われてくるのである。

その怪物はもしかすると、好むと好まざるとに関わらず、すべての人間が背負わざるを得ない一寸先は闇の”未来”というものの仮の姿なのかもしれない。ドストエフスキーはこうも言っている。『幸福は幸福の中にあるのではなく、それを手に入れる過程の中だけにある』。いま、この言葉を清原が聞けば、一心不乱に野球に打ち込んでいた、それこそ幸福な少年時代を思い出すことだろう。

清原の栄華と没落を思う。それはまったく飛行機の墜落にも似て、絶望的な全滅といった印象である。さらに引用を重ねれば、『人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないからだ。ただそれだけの理由なのだ』。ああ、キヨハラくんという偶像よ。

そう、人間のなんたるかは、おそらくはドストエフスキーが19世紀にすべて描き切っているのである。しかしその後も延々と、ひとりひとり生身の人間が、呆れるほどの不器用さで、初めてかつ唯一の体験として試行錯誤しながらもがき苦しんで生きていくしかないのであった。

彼に足りなかったものは何か。過剰だったものは何か。あるいはその両方か。私は思う。『人間には愛がありさえすれば、幸福なんかなくったって生きていけるものである』。そういうことなのだろうと、私は思う。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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