人はある日にわかに歳をとる
人間はひとつずつ歳をとらない。ある日にわかに歳をとる。毎年決まって誕生日が巡って来るから、ぽつりぽつり歳をとるように思うが違う。
いったん生まれれば日々は死ぬまで続いて途切れない。それは暗闇で長い紐を手繰るが如く、手品師でもなければ現在地などつかめるものではない。
誕生日は目印にならない。毎年断りもなく勝手にやって来るそれは季節と同じであり、自分のあずかり知らぬところにある。科学のものさし、物理的時間で人は歳をとらない。浮世の人の年齢は、本来、心的時間でのみ積み重なる。
相対性理論に近いが、難しくない。かのアインシュタインはそれを子供に教えた。時間は皆に平等には流れない。勉強をしているとき時間は長く、好きな子と一緒にいるとき時間は短くなるのと同じだと。
そして人はにわかに歳をとる。ある朝起きて鏡をのぞくと、見知らぬおじさんが映じる。ある夜、電車の窓に思わず背後を確かめんばかりのおばさんが浮かぶ。
我が目を疑う。しかしどうにもそれは自分らしいと観念する。思い返せば確かにそれだけ色んなことをして、日々を生きてしまったのである。
前にもそのように思ったことがある。三年前か五年前か、あるいは十年も昔か。そのとき仮に三十であれば、いま、瞬間ずしりと歳を取り、三十が一足飛びに四十になるのである。
だから誕生日はなんの意味もない。スーパーの特売日ほどの価値もない。人はばらばら歳を取る。ませた子、おそい子、老いてなお幼い人もいれば、若くして老成したような人もいるのはそのためである。
三つの次は十、十の次は十八、十九、二十歳となって、三十、四十、飛んで六十、そして次の日九十、一息ついたら百になって人は死ぬ。
むろん、ここで言う百は心的時間である。吉田松陰曰く、十で逝く者にも百で果てる者にも、等しく春夏秋冬四季がある。畢竟、すべて人は数奇な歳をとる。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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