また夏が来る
一年が半年に、半年が一月に、一月が一週間に、一週間が一日になる。
歳をとるにつれて時間の流れが早くなる。ことに老境の人は口を揃えてそう言う。その口ぶりは呆れにも諦めにも聞こえるが、しかしどうして、深刻さはあまりない。
歳をとることは衰えることであり、感受性もまた例外ではない。時の流れについても、早いことだけはわかるが、それ以上の思いはない。
ただ季節は巡る。夏のにおいに誘われて、そぞろに歩く。上へ横へと豊かにふとる雲を仰げば、昔のことを思い出す。何もかもが昨日のことのように像を結ぶ。香りやぬくもりさえ感じられて、その信じられないほどの鮮やかさにめまいがする。
ひょっとして何もかも夢なのではなかろうかと、戯れに駆けようとして、足腰が痛む。顏も手もしなびた自分の姿かたちだけが、それがもう遠く過ぎ去った何十年も前のことなのだということを、訥々と説得するように厳然として在る。
頭ではわかっている。しかし納得がいかない。如何ともしがたい口惜しさがある。それはおそらく、時間を捕まえられなかった、取り逃がしてしまった口惜しさである。もちろん、時間は誰にも捕まえられない。逃げるもなにも、勝手にどこか飛んで行ってしまう。人は、いつもそれを指をくわえて眺めているよりほかない。
まさに指をくわえていた子供のころ、たまらなく夏を好きだった。日がな駆けずり回って、山に隠れ川に流れ海に浮かぶ、その楽しさたるや、よだれを垂らしても小便を漏らしてもまだ足りないほどだった。
そんなある夏の夜、遊び疲れて床につき、ふと、あと何度この夏を過ごせるのだろうかと考えた。百歳まで生きても、あと九十回足らず――。たった、たったそれだけしか残されていないのかと思い、悲嘆に暮れた。
しかしその残りをまだ全然使い切らないうちに、私にとって夏はなんの意味も持たなくなった。ただ暑いばかりで、疎ましくはあっても、楽しみなど微塵もなくなった。当たり前だと言えばそれまでである。大人になった。子供ではなくなった。それだけのことだ。しかしそのことが、私は無性に口惜しい。
また夏が来る。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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