乙武洋匡/聖なるダルマ

  2020/08/19

なんとも複雑な感情を禁じ得ないニュースがあった。すでにほとんどの方がご存じだろうが、以下、引用する。

「乙武洋匡」氏が不倫を認める 過去を含め5人の女性と
『五体不満足』の著作で知られ、参院選出馬が注目される乙武洋匡(ひろただ)氏(39)の不倫を「週刊新潮」3月24日発売号が報じている。
 昨年末、乙武氏は20代後半の女性と共にチュニジア、パリを旅行した。「ダミー」として、男性1人も同行させていたという。
 乙武氏には2001年に結婚した妻がおり、現在、8歳の長男、5歳の次男、1歳の長女を持つ身。教諭の経験があり、都の教育委員も務めた“教育者”の不貞行為ということになる。~中略~「肉体関係もあります。不倫と認識していただいて構いません」「彼女とは3、4年前からのお付き合いになります」と不倫を認め、さらに“これまでの結婚生活で5人の女性と不倫した”と告白した。
Yahoo!ニュース(デイリー新潮)3月23日(水)17時0分配信http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160323-00506816-shincho-soci

私だけではないだろうが、あの肉体と〈不貞〉という言葉を結びつけるのは容易ではない。もっと〈好色〉に至っては、もはやどのような感情を抱き、どのように論ずるべきか、いっそ思考停止に陥ってしまいそうである。改めて彼のプロフィールを、Wikipediaより引用しておこう。

“乙武 洋匡(おとたけ ひろただ、1976年4月6日 - )は、日本の文筆家、タレント、元NPO法人グリーンバード新宿代表、元東京都教育委員、元教職員、元スポーツライターである。東京都出身。~中略~先天性四肢切断(生まれつき両腕と両脚がない)という障害があり、移動の際には電動車椅子を使用している。~中略~障害者としての生活体験をつづった『五体不満足』を執筆し、出版。屈託のない個性と「障害は不便です。しかし、不幸ではありません」と言い切る新鮮なメッセージがあいまって大ベストセラーとなった。”
「乙武洋匡」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 2016年3月24日 (木) 22:10 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

そう、なにはともあれ彼は生まれながらの身体障害者なのだ。そして俗な表現を用いれば〈ダルマ〉なのである。というと差別表現に当たるおそれもあろうが、あくまでも私はそれをひとつの〈聖性〉を表す言葉として、あえて用いたいと思う。そもそも〈ダルマ〉という言葉には、以下のような由来がある。

“禅宗寺院では達磨大師を描いた掛け軸や札をいわゆる仏像のような役割で用いることが行われるが、この達磨大師には壁に向かって九年の座禅を行ったことによって手足が腐ってしまったという伝説がある。ここから、手足のない形状で置物が作られるようになった。”
「だるま」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 2016年3月4日 (金) 12:15 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

もちろん、手足を切られて見世物にされるなど、俗悪な都市伝説的な要素もなくはない。実際、戦前には〈だるま女〉という手足のない女が見世物になっていたという。しかし私は、彼を〈達磨大師〉になぞらえて、聖なる存在の〈ダルマ〉として論じたいと思うのだ。

というのも、今回の彼の不倫という不祥事は、いくらもある他の誰の不倫とも異なる性質のものだと思える。この報に触れた時に我々が喚起された情動は、倫理や道徳といった〈理性的な正義観〉よりもまず〈本能的な嫌悪感〉ではなかったか。

我々は真っ先にイメージしてしまうのだ。彼が性行為に及ぶそのシーンを、我々の頭にある〈ふつうの性行為〉と照らし合わせながら、あるいは点検するようにイメージする。そこで出される結論は早い。一瞬だ。当然である。それは〈理性で考えた〉ものではなく〈本能で感じた〉ものだからだ。

「あり得ない」、「気持ちが悪い」そしていっそ「消えてほしい」――。その反射的な本能の嵐が吹き荒れたあと、ようやくで理性がもぞもぞと動き始める。すなわち、「奥さんがかわいそう」、「選挙になど絶対に立候補するべきではない」、「社会的に許されない行為だ」云々。

とにかくは非難である。それは致し方なく、もっと、正しいことなのかもしれない。そうして正義が行使されれば、彼は表舞台から消える。それだけのことなのかもしれない。しかし、我々がこれほどまでに騒ぎ立て、面食らったその本質には、今まで彼が帯びていた〈聖性〉がものの見事に瓦解したところにあるのではないだろうか。

生まれつき手足がなく、それでもけなげに懸命に生きる彼の姿は、我々の荒んだ目に清く美しく快かったのだ。それはいつしか彼を人間以上の何者かにまで押し上げてしまったのではないか。現代、メディアに登場する者の宿命として、聖域なく何もかもが暴き立てられ、その埃のひとつひとつが毀誉褒貶の分析機にかけられる。しかし、彼には悪事を働けるような〈手足がない〉。皮肉にもそれが彼の清廉潔白を〈物理的に〉保証した、いや、保証しているように見せていた。

多かれ少なかれ、我々は潜在的に〈無条件の信頼〉ができる存在を求めている。疑わしい人物、疑わしい出来事の溢れ返るこの世界で、彼の存在は貴重だった。彼は手足がないからこそ、無私の人に見えた。手足がないからこそ、純粋で無垢にも見えた。手足がないからこそ、彼の言葉にはある強い説得力と信頼感が備わっていた。

とはいえ、彼自らがそのように演出したわけではない。我々が〈無条件の信頼〉を求めた結果でしかない。ただ信じ、ただ拝み、それこそほとんど崇拝されるようになって彼は、我々にとって〈聖なるダルマ〉となったのだ。

そうして今回の彼の不祥事は、毎日拝んでいた仏壇の仏様が金メッキのプラスチック製だったというようなことであり、いつも肌身離さず持ち歩いていたお守りを開けてみたら型紙しか入っていなかったようなものであろう。つまり、我々はいったい何を信じていたのか?

私としては、彼が〈聖人〉から〈人間〉になったこれからこそが正念場のように思える。たとえば、キリストがしがない大工仕事の手伝いというふつうの人間としてこの世に現れたように、あるいは三日後に復活したように、である。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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