冷たいジャングル(コンクリートジャングルが死語となった現代都市のランニング)
2020/02/06
ランニングに出かける。都会の街中を走る。ほこり立つ国道沿いで息を切らす。
言うまでもなく健康のためである。ただし、この状況で果たしてそれが健康に益するのかは、甚だ疑問である。養老孟司なんかも排気ガスを胸一杯に吸い込みながら走ってどうなるものかなどと言っていたが、まあその通りである。しかし、それでも私は健康の一助になるものと信じて走っている。
ほとんど幻想である。しかし、これは私個人のというよりも、〈共同幻想〉というべきものである。試しに皇居に行ってみればよい。いつか部活で野球部サッカー部バレー部云々と学校の周囲を走っていたが、それらが折悪く重なったとしてもこれほどの大所帯にはならなかったろう。あるいは皇居をキャンプファイヤーのように取り囲んでぐるぐる回るという、天皇を崇め奉る儀式なのだと言われれば、なるほどそういうものかと納得しそうなほどである。
そう、皇居に限らず、都会のランニングはどこか不自然で、病的である。健康になるというよりは、健康という妄想にとりつかれているような。楽しんで走ろうなどと言うものの、貧乏ゆすりのようにそうせずにはいられないからそうしているだけのような。
とはいえ、そもそも都会とは、我々の望んだ形の集積のはずである。かつて雨が降れば決まってぬかるんで泥だらけになった道を、アスファルトで覆って舗装した。燃えやすい木造の建物を、堅牢な鉄筋コンクリートで建て替えた。ひとつひとつ、我々がその方が良いのだと信じて選び取ってきたその結果が、都会の相貌に凝縮されているのである。
走りながら、そんなことを考える。表通りを、裏通りを、入り組んだ路地を、当てもなく気の向くままに走る。なんとはなしに、とある公園に足を踏み入れた。瞬間、新鮮な心地よさを覚えた。その公園はこじんまりとして、決して緑が多いわけでもなかったが、しかし地面は裸の土であった。それで、走るとざっざっざっと小気味よく砂が鳴った。
土の上を走る。そのことに、私はほとんど懐かしささえ覚えた。嬉しくもなってきて、端から端へと走り込んだり、公園内をぐるっと一周したりした。信じらないほど純粋な快感があって、子供のようにそれを繰り返した。息は切れるのではなく、心地よく弾んでいた。
ふと、〈コンクリートジャングル〉という言葉が頭をよぎった。今では死語であろう。建物がコンクリートでできていることなど、とても当たり前過ぎて、何の比喩にも、あるいは皮肉にさえもなっていない。だとしても、都会は今でも確かに〈コンクリートジャングル〉には違いない。
漠然と、〈コンクリートジャングル〉は人間にとって真の住処ではないような気がした。大仰な言い方をすれば、人類の進歩は、どこかで何かを間違えたのではないかーー。私は足を止めて、大きな一本の木に手を当てた。荒々しい樹皮がざらりとして、かすかに粉を吹いた。これもまた、ひどく懐かしかった。そしてあたたかい、そう思った。
いつだったか、父に教わった有機物と無機物の見分け方を思い出した。と言っても至極単純な話で、触ったとき、「有機物はあたたかく、無機物は冷たい」。ただそれだけのことである。
私は樹皮をひとしきり撫でて、それから公園の入口の車止めに触れてみた。鉄で、冷たくて、無機物であった。植え込みの石垣にも手を伸ばした。やはり冷たかった。「確かにな」と、ひとりごちた。さらに植え込みの名も知れない植物を触ってみると、果たしてあたたかだった。「確かにな、確かにな」ーー私は何かとてつもない発見でもしたかのようにつぶやいた。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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