満身創痍の五輪エンブレム(2020年東京オリンピックは誰のためか)

  2017/08/22

例の件について書こうと思う。もはや経緯を説明するのも面倒な、五輪エンブレム問題である。

盗作、再公募、そしてようやく最終の4案に絞られたかと思いきや、その脇からお笑い芸人が気の利いたデザインのエンブレムを引っ提げてきて脚光を浴びたりしている。

もはや何がなんだかよくわからないし、全然わかりたくもない。そもそも、エンブレムはあくまでも脇役である。真にかんかんがくがくやるべきは、オリンピック自体の是非であり、予算であり、運営やおもてなしについてであろう。

それが何をいつまでもたかがマークについてぎゃあぎゃあやっているのであろうか。真面目な話、審査員にしろ市井の人にしろ、揃いも揃って絶望的な馬鹿ばかりなのではなかろうか。ちょっと考えればわかることである。たとえば、私はチチヤスヨーグルトが好きだが、そこにチチヤスのマークが無くても怒りはしないが、中身が無ければ怒るのである。

ここまでくればエンブレムのあり方自体を考え直すべきである。今さらどんなに素晴らしいデザインに決まったとしても、それは末代まで「すったもんだの果ての苦渋の案」というレッテルがつくのは目に見えている。

と、話を進める前に、ここで今一度エンブレムとは何かを確認しておくのも無駄ではあるまい。以下Wikipediaより引用する。

日常会話においては、「エンブレム」という語はしばしば「シンボル」(象徴・シンボル)と同じ意味で使われるが、厳密には両者の間には区別がある。「エンブレム」は、観念または特定の人や物を表すのに使われる図案を指す。具体的にエンブレムは、神性・部族または国家・徳または悪徳といった抽象概念を視覚的な用語で具体化させたもので、対象または対象の対応物である。
「エンブレム」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2015年11月4日 (水) 08:26 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

そう、エンブレムとは『観念または特定の人や物を表す』のである。つまりそれは、日本を表すのであり、東京を表すのであり、もっと、どのような東京五輪にするかという理念さえも表すのである。このことを踏まえれば、現在の五輪エンブレムから想起されるイメージは、〈不安〉であり〈不信〉であり〈ぐだぐだ〉でしかない。しかもこれは、今さら何をどうしようが到底くつがえりようがないのである。

これはいったい誰の責任なのかはここでは問うまい。ただ、私はエンブレムを用意すること自体が、もはや時代遅れなのだろうと思う。現代、ひとつにまとめられるような〈民意〉というものはあり得ない。かつて国民的番組と言われた「紅白歌合戦」の視聴率を考えてみればよい。前回東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)であれば、視聴率は72.0%であり、確かに国民的番組の名にふさわしかった。しかし昨年2007年(平成27年)のそれは39.2%である。今年の紅白は良かった/悪かった云々の前に、半数以上の人は見てもおらず、どうでもいいのである。

五輪エンブレムにしても同様である。あるひとつのエンブレムの元に、国民が一致団結して「成功させよう東京オリンピック!」などと盛り上がれたのは遠い昔の話である。今では皆それぞれ独自の価値観があり、趣味や嗜好も多様化し、とてもひとつになどまとめられるものではない。

その事実を踏まえれば、自然と2020年の東京オリンピックにふさわしいエンブレムの形が見えてくる。それはすべてのエンブレムを公式エンブレムとして認めてしまうことである。「TOKYO 2020」という文言さえ入れれば、どんなに拙劣なロゴも公式とするのである。

そうすると公式ロゴの種類は数万にもなるだろうが、それこそ多文化共生社会の具現化ともいえるものになるだろう。それぞれが思い思いのロゴを選び、その違いを尊重してオリンピックを楽しむ。なにより、オリンピックは決して人々が喧嘩するために始められたものではない。以下のように、古代ギリシアではオリンピックは『聖なる休戦』だったのである。

古代オリンピックにはギリシア全土から競技者や観客が参加しました。当時のギリシアではいくつかのポリスが戦いを繰り広げていましたが、宗教的に大きな意味のあったオリンピアの祭典には、戦争を中断してでも参加しなければならなかったのです 。これが「聖なる休戦」です。オリンピアからアテネまでの距離は約360km、スパルタまでは130km。武器を捨て、ときには敵地を横切りながらオリンピアを目指して旅をするために、当初は1カ月だった聖なる休戦の期間は、最終的に3カ月ほどになったといわれています。
日本オリンピック委員会(JOC)公式サイトhttp://www.joc.or.jp/column/olympic/history/001.html

大の大人が本気で殺し合っている血みどろの最中に、わざわざ遠路はるばる走ったり幅跳びをしたり、円盤や槍投げのために集まる。いっそ休戦を越えて微笑ましい平和以外の何ものでもないだろう。

今こそ歴史に学ぶべきである。仮にも古代よりも進歩した現代人を標榜するのであれば、エンブレム云々で揉める前に、肩組み合って仲良く呑みにでも行ったほうがよほどオリンピックの理念にかなっているに違いない。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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