ぼくは三十になり、父は癌になり。

  2017/08/22

そうして人生は過ぎてゆく。
それだけ時間が経ったということだ。時間が経ったというだけの話だ。
ぼくはもう、ネコのぬいぐるみを一日中引きずりまわしたりしないし、お母さんのネグリジェのにおいを一日中かいでいたりもしない。そして、お母さんのネグリジェが洗濯されたときに「おかあさんの匂いがなくなった!」と言って、泣きわめいたりも、もちろん、しない。しなくなった。
時間が流れた。
とてつもなく時間が流れた。
この世にあるどんなすさまじい暴力やとてつもない権力にもまさる力で、時間はひたすらに流れてゆく。
あきれるほどに一方通行の時間。戻れない時間。あっ、あっ、と過ぎてゆく、瞬間、瞬間、その連続。
時間が進むことはあっても、戻ることはない。
ただひたすらに流れてゆく。
いつの間にか。ほんとうに、いつの間にか。
三十歳になって数日、何が変わったって、もう二十代ではないということ。もう、二十代であれば問題ないような軽々しいあらゆることをするのがはばかられるということ、その意識。
逆に、こんなに自分の意識が変わるとは思わなかった。
29歳の最後の一日と、30歳の最初の一日と、それは生物学的にはほぼ等価であるだろう。生物学がなんなのかなんてよくわからないけれど、そんなの、ふつうに考えてもたいした違いはないだろう。
しかし、ぼくには決定的に違うと感じられる。何かが、決定的に違う、違ってきている。
そんなとき、何か、どこかしら、この日本にまします八百万の神々のどれか、その端の端のどれかしら、どなた様かが、何かしらの感慨をぼくに与えようとしたのだろうか。
父が癌になった。
と、重大に書いてみたが早期癌だそうで、腹を割くこともなく内視鏡で取れるようで、まあふつうに死ぬこともないようで、といっても、ぼくにとっては末期だろうが早期だろうがたいした違いはない。
あの鎌倉の大仏の近くのお店でご飯を食べたとき、この家でぼくがたくさんの料理を振舞ったとき、そして原発の避難民でごった返していた福島会津若松の旅館でごはんを食べたとき泊まったとき、父の身体では癌細胞が、その増殖を続けていた、という事実。習ったばかりの悪性新生物、日本人の死因の第一位のパーセンテージの1パーセントとかの、その1パーセントの中の何千人かの一人として、機械的にカウントされようとしていた、という事実。
時間とは、そういうものだと思う。
貧富賢愚問わず、つまり、カネがあろうがなかろうが、かしこかろうが馬鹿じゃろうが、恐ろしいほどの等価で生物非生物問わずすべての存在に対して時間は流れてゆく。
あのときにこうすればよかった、こうしていればこうなっていたかもしれない、なんていう人間のつまらない瑣末な感情は、すべて押し流されてゆく。時間の流れの中、ほんとうに泡となって露となって消えてゆく。
だから、とぼくは思う。
すべては今すぐ行動に移すべきだと思う。
今度はもちろん、明日なんてのも、ウソだ。真っ赤なウソだ。
やるなら今だ。もしも何かやるなら、やりたいなら、成し遂げたいなら、今しかないと思う。
わたしは、あなたは、いったい何年生きれるというんだろう。せいぜいが100年だろう、たったの100年だ。
おぎゃあと叫んで、塵となる。
秀逸なツイートを読んだ。
彦星と織姫の話。誰でも知っているように7月7日だけ、1年に1度しか会えない。だから切ない、なんて思うのは間違いで、織姫(織女)と彦星(牽牛)は「星」であって、星の寿命は10億年だから、人間の寿命100年で換算すると3秒に一度は会っているんだという、結婚したってこんなには会わないだろう、という内容。
そう、そういう話。人間の寿命はまずもって100年だ。少なくとも今のところほんとうにせいぜい100年なのだ。このくそくだらない1日×365×100すると、この"くそくだらない"と思うことさえもできない無になってしまうのだ。
ロマンもくそもない。ロマンを押し込めるのは眠る夢の中だけで十分だろう。そんな短いヒトの一生を、今年は、とか、来年こそは、なんて表現で生きているうちは、結局、単なる塵と露で終わってしまうだろうと、ぼくは思う。いや、きっと"星"たちもそう思っている。
われわれは、もっと、もっと、もっと、生きなければならない。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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