十年前と、十年後。
私が初めてブログを書いた日から、今日でちょうど10年が経つ。
あのころ、とても10年後のことなど想像できなかった。しかし、想像できようができまいが時間は流れて、人生もまた、ほとんど自分の意志とは関係ないかのように流転した。
十年ひと昔とはよく言ったものだ。そう、ひと昔なのだ。十年という時間は重い。にも関わらず、ふり返ってみるそれはつい昨日のことのように鮮やかで、あまりにも軽い。
十年前にあったものと、十年後のいま、無くなったものがある。列挙すればきりがなく、そもそも歳を取れば誰でも感じることだろうと思うので割愛する。
単純に、良くなったか悪くなったかだけを言えば、もちろん悪くなった。よく、人生は生きている限り可能性があり、心がけ如何で向上していくものだというが、きれいごとも甚だしい。
仮にそうだとすれば、死ぬ間際にもっと涙を流す者があっていい。たかがドミノなんかの大会でさえ、完成間近にへまをして涙する者があるというのに、どうして自分の未完の人生に涙しないでいられるものか。
この世とはよくできたもので、人の一生は日ごとに萎えてしぼんでいくようになっているのである。だから、かつて死というものが漠然とした真っ黒な恐怖でしかなかったものが、死に至るその時分には、どうして納得して受け入れられるようになっているのである。
べつに斜に構えてこんなことを言うのではない。そもそも私が生まれる何十年、何百年も前から古今東西の偉い人がさまざま言っている。イギリスの神学者フラーは『最初の呼吸が死の始めである。』と言い、フランスの劇作家コルネイユは『 人生は一歩一歩、死に向かっている。』と言う。イギリスの作家ガイ・ベラミイに至っては『命とは、セックスで感染した病気である。』とさえ言う。
そりゃあんまりだという向きもあろうが、ひとしきり人生について真面目に考えたなら、早晩そのような結論になるのは必定だろうと思う。
10年前の2007年11月5日のブログ: 願わくば純粋な手作業だけしていたい
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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