ぼやけてゆく境界線

最終更新: 2017/08/22

今日はパンにお菓子にと、主食以外をモリモリ美味しく食べてしまった。言い訳をするならラジオで3月~4月がメイプルシロップの旬だと言っていたから。で、メイプルシロップがけトーストと野菜ジュースを食べた。それが朝ご飯から二時間後くらい。で、さらに一時間半後にはビスコを食べた。春は、というかいつも眠い。

昨日、久しぶりに死んだ祖父が夢に出てきた。実際は夢か現実かよくわからなかったが、とりあえず祖父の実体は無く、見えず、濃厚な気配だけがあった。

その夢の中で祖父に言われた。

ダルマに目を描くんじゃ!

意味がわからなくて、僕は「いつ?」と聞き返した、て、意味わかってるね。すると祖父は「いつでもええ!」と言った。祖父が僕の体の上を好き放題に歩いているような感覚があって、僕は目を覚ました。

かはぁっ、はぁっ、はぁっ

見開いた目には黒い天井と、微かに白い蛍光灯が映っていた。が、恐怖感 から何も見れてはいなかった気がする。それから理性で祖父を怖がる必要はない、ない、と自分に言い聞かせた。体を起こしてお茶を飲み、携帯で時間を確かめた。眠りについてから、おそらくは30分も経っていなかった。

ところでその祖父は僕の記憶か、それとも実存か。いま、神について語るつもりはないけれど、たとえば山歩きの時、たまたま出会った地蔵とか何がしかの土着の神程度には、気楽に手を合わせたいものだとは思う。よく忘れてはいるけれど、いや、ほとんど忘れてはいるけれど、思い出した時には思わず拝んでしまう、ような。

僕は生きててじいさんは死んでて、ってその事実。拝み、拝まれる。じいさんは一応、白骨カルシウム。

しかし、じいさんが僕のことを拝んでんのか、あるいはその逆か、なんか、関係性ってごくごく薄っぺらな裏表で成り立ってて、手を合わせてる僕はいったいなんなんだろうかと考えなくもないよね? でもそういういちいちを考えないほうが良いってのは、はるか昔に考え出された処世術。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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