ほぼエッセイ、ときどき現代の美術とアート。

その道の人

  2016/04/08

音楽を作ってもらった。いや、曲を作ってもらったというほうが正しいのかもしれない。

どう表現すればいいのか、私は”その道の人”ではないので知らないし、わからない。

とにかくは、来年1月の静岡市クリエーター支援センター(CCC)での個展「コンビニ弁当の山」で使用する音楽である。

当初、その音楽は自分で作ろうと思っていた。事実、この展示プランのプレゼンに当たり、既にそれらしい音楽を自力で作っていたのである。それで表現したいイメージはおおむね形になっており、それほどの不満もなかった。

しかし、もう少しブラッシュアップするべきだとは思っていた。とはいえ、私の技術には限界がある。というかド素人である。しかも音楽を作るのは非常に時間がかかる。それに絵の制作も立て込んでおり忙しい。そもそもめんどくさい。そのような諸事情を勘案していると、ふと友人のKさんが頭に浮かんだ。そうだ、彼に頼もう。そう思い立つと、私は1秒後には携帯をいじり始め、30秒後にはSNSを通じてメッセージを送っていた。

しかしその依頼は、あまりにも一方的な、ブラジル人のような雑さであった。いや、ブラジル人が実際に雑かどうかは知らないが、ほとんど「日本っぽい音楽よろ!」くらいのお願いであった。

いま考えれば、心から申し訳なく思う。私という人間は、ふざけんな殺すぞというほど雑であると同時に、生きているのが不思議なほど繊細なのである。その前者の性質を如何なく発揮してしまったのである。

かように恐ろしく面倒かつ舐め腐った人間の依頼を、しかしKさんは快諾してくださったのであった。

それからおよそ3カ月経った昨日、都内某所にあるKさん宅を訪れた。どうして、都内某所なんて書くと俄然メディア感というか、マスコミ感が漂ってくる。実際、Kさん宅は音楽家らしくギターだかベースだかが数本立てかけられ、その横にはハイスペックなMacが鎮座したデスク、それからオーディオはいかにもいい音出しますという感じで鈍く光り、壁面にはCDがうん千枚びっしり並んでいるのである。

とりあえず、持参した発泡酒で乾杯した。第三のビールではなく発泡酒である。それから今回の依頼関連の話を1割、世間話を9割の末、これまた持参の低廉な白ワイン一本が空になった。と、その時、おもむろにKさんが立ち上がった。曲を聴いてもらいたいと言った。95%完成しているのだと、つけ加えた。

驚いた。正直、まだ全然できていないと思っていたのである。促されるままに、私は普段Kさんが数々の楽曲を生み出しているのだろうMacの前に着席した。画面には、ヒストグラムというのかたくさんの波形や棒線、よくわからない数値や英字が散らばっていた。Kさんは傍らでマウスを触り、「では」と言って曲をスタートさせた。

雰囲気出すためにと、Kさんは部屋の電気を消した。真っ暗な部屋で、私は真剣に聴こうと目を閉じた。

開始10秒程度で、何かが違うと思った。20秒で、思わず深くうなずいた。30秒で、プロフェッショナルとはこういうことなのかと感激した。知らず知らずのうちに口元がゆるんでいた。

もしかすると、適当に聞き流せば、私の作っていた音楽と、Kさんが作ってくれた音楽はたいして変わらないのかもしれない。しかし、わずかでも”傾聴”すれば明らかな違いに気づく。私の音楽が老人のたるんだ皮膚ならば、Kさんのそれは小児のピンと張ったみずみずしい肌。あるいは、私のは単なる「音」でしかなく、しかしKさんのそれは明らかに「楽曲」なのであった。

曲の流れ、組合せ、抑揚、リズム、テンポ、そのすべてに神経が張り巡らされていることがありありと伝わってくる。なんとなくの感覚だけでそれっぽく作っただけのハリボテとはわけが違う。どんなことでもそうだが、それぞれの業界には常識とされる”作法”があるものだ。その仕事をしていれば、知っていて当然、そうやるのが普通、むしろそれ以外の方法が思いつかないというような事柄である。そうして生み出された楽曲は、自分が今後10年20年かかってもまずもって到達できないだろうクオリティが発揮されていたのである。

何もかもが簡単にできる時代である。一昔前まではとても自力ではできなかったことが、今ではわけなく実現する。それで専門の人、いわゆるその道の人に対しての報酬を出し惜しみするようにもなっている。それってタダでできないのと平然と言う人は多い。

しかし、使い古されたことわざだが餅は餅屋である。その道の人によってしか実現しえないものが確かにあるのだ。対価を出し惜しみしてはならない、お金を出すときは出さなければならない。決して大げさではなく、そのような相互作用の連鎖こそがより良い社会に繋がっていくのだと思う。私もまた誰かにとってなにがしかのその道の人であることを願わずにはいられない。

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