一寸の虫にも五分の魂があったらいいね

最終更新: 2016/04/17

小いわし30〜40匹がまさに雑魚寝でパックに詰め込まれて200円。そこに黄地に赤文字の半額シールがぺたり。

だから100円。30匹としても、1匹あたり3円あまり。それが小いわし一匹の命のお値段である。お店の閉店時間から考えて、ここでぼくが買わなかったから小いわしはゴミとなるであろう。救わねば、という慈悲の心で、買ってあげた。といってもすでに死亡しているが。

小いわしの死骸を買って、とぼとぼと帰る。ものは言いようで、死骸なんて表現をすると途端にグロテスクになる。適当に梅干とかで煮付けにしようかと思ったが、レシピを調べていると「なめろう」が出てきた。ああ、そういえばなめろうとかいう料理があったなと思う。それから、なめろうを貝殻とかにのせて焼いてサンガにしてもよい、とも。ああ、そういうのもあったなと思う。いつだったか、料理学校で鯵のなめろうおよびサンガを作った。おそらくは去年だが、もう何年も前のことのように感じる。

自宅に帰り、小いわしをパックからボウルに移す。水でじゃぶじゃぶ洗う。たちまち血と汚れが混じった、うす黒く濁った水に変わる。何度か繰り返すとだいぶ水が澄んでくるが、しかしその水洗いによって、か弱い小いわしたちの皮ははがれ、腹はやぶれ、内臓が引き裂かれた者も少なくなかった。

一寸の虫にも五分の魂、か。一匹ずつ、頭を切り落とし、内臓を指でこそぎとる。まったく、人間様にとっては煩雑な作業である。しかし小いわしから見れば、「鬼!あんたらは鬼じゃ!鬼畜じゃ!あの世で地獄の業火に焼かれろ!」くらいは言いたいところであろう。少なくともぼくならばそう言いたい。クソ人間どもめ。

ものの2、3分で、流しには小いわしの頭部と内臓が無造作に散らばり、キンッと冷たい鉄の糸が張ったような線猟奇的雰囲気が漂う。会田誠のジューサーミキサーのごとき地獄絵図にも感じられる。

小いわし、いやはや旬だねえって感じは全然しない。妙に生々しく、ああこの命の序列、人の命は地球より重くって、魚の命はゴミ? ああ、はあ、そりゃあまあ当然と言えば当然だし、そんな疑問はかったるいよ眠たいよという感じだけれど、しかしどうにも摩訶不思議。生きるためとかなんとか言っても、素直に殺生なことだ。だからおいしく食べましょう、いただきますとは命をいただくことですって、ハ? って感じがする。何様?

オレ様で人間様。重複するが、何言ってんだてめえ、サツマイモでも食って屁こいてろこの野郎と、小いわしは言いたい、そう思う。全員の死体処理をして、もう一度水で洗う。また濁っているので、何度か繰り返す。キッチンペーパーで水気を切って、まな板に並べる。それから出刃包丁で、ざくり、ざくりと切っていく。

死骸は細分化してゆく。何がなんだかわからない物体に帰してゆく。ここで公園にでも行って下水に流せばいわゆる完全犯罪である。包丁は次第にリズミカルになる。だんだんだんだんだん、包丁はドラムのスティックのようになって、まな板を叩く。だんだんだんだんだん。まったくのミンチになって、糊状になる。

これは何か。小いわしたちはどこに行ったのか。あの清く美しい、罪のない青魚たちよ。一寸の虫にも五分の魂があったらいいねとは思うが、ちょっと、全然、期待できそうにない。人間である自分もまた言わずもがな。はからずも絶対的な無意味を感じて、ちょっと、おののく。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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