骨休め論
人は癒やしを求めて温泉地に出かけてゆくが、2週間もすればそれは生活になってしまい、本来の意義は失われる。我々は日常の生活と、逃避としての旅行という、二つの間を永遠に行き来する、そのわずかな間隙にしか、安らぎや骨休めを見い出せないのではないか。
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