当てにしないこと/ならないこと
2017/08/22
一昨日、台風が発生した。天気図を見ると、まさに日本縦断の様相を呈していた。「明後日の通勤時間帯に直撃だよ」と、うんざりしたように上司が言った。私は特に意味のない有給を翌日に申請していただけに、明後日にすればよかったと、すこし悔やんだ。
そして直撃となるはずだった今朝、どうして窓外は穏やかであった。おかしいなと思い、ネットで『台風』と検索した。出てきたのは進路も何もない白紙のような天気図で、そこにいかにもばつが悪そうに『台風13号は温帯低気圧になりました。』と断りがあった。
そういうこともあると言えばそれまでだが、しかし、私にはそのことが妙におもしろく感じられた。この「おもしろい」というのは興味深いという意味であって、たとえば一寸先は闇とか、万事塞翁が馬とか、その種のことである。
人間生きていると、先のことがすっかり見通せてしまうように感じられる時がある。同じような毎日が延々と続き、今日という日は死に至るまでの一通過点でしかないように思われて、飽き飽きしてうんざりするのである。
とはいえ、実際それはひとつの真実で、よっぽどの馬鹿でなければ三十路の半ばも過ぎれば先のことはだいたいわかるものだと、私は思う。二十歳そこらの若者ならいざ知らず、真新しく熱い夢を語るオッサンなど滅多にいないのがその証拠である。
別に夢を見ることばかりがすばらしいわけではないが、少なくとも「夢がない=現状維持」ということは言えるのではないだろうか。しかし、どんなことにしろ現状維持というのはあり得ないことで、それは暗に下降をはらんでいる。
誰しも避けては通れない体力や気力の低下を考えればわかることで、若い頃と同じことをしていたのでは、以前と同じような〈快感〉や〈充実感〉は得られないのである。むしろ、以前の何倍も頑張って、ようやく同程度のものになるのである。
つまり、歳を取れば取るほど、色んな意味でもっと頑張らねばならないのである。さもなければ、人生はどんどん小さくつまらないものになっていく。他の人はどうか知らないが、実際、私はそのように感じている。そのことはごまかしようがなく、だから私は、有り体に納まりつつある自分の人生に揺さぶりをかけようと思う。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
ご支援のお願い
もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。
Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com
ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。
-
読書記録
2011年より開始。過去十年以上、幅広いジャンルの書籍を年間100冊以上読んでおり、読書家であることをアピールするために記録している。各記事は、自分のための備忘録程度の薄い内容。WEB関連の読書は合同会社シンタクのブログで記録中。
- 前の記事
- 私の存在を証する(戸籍謄本なるものについて)
- 次の記事
- 恋人か、狂人か。