恋人か、狂人か。

  2017/08/22

白昼、空から服が降ってきた。いや、比喩とかそういうつまらない話ではない。

何ごとかと仰ぎ見ると、マンションの3階のベランダから、色とりどりの服が今まさに落下しているところである。

衣装ケースまで落ちてきて、思わずのけぞる。三十がらみの男がちらと見える。しかし道路に散らばっているのは明らかに女物の衣類で、それで私は納得した。

そこへおばちゃんが通りがかる。いぶかしげな視線を上空に投げる。地上に散乱した衣類と見比べる。ふと目が合って、瞬間、二人の間に都会らしからぬ親近感が生じる。

「絶対、恋人同士のケンカだと思いますよ」私は言った。

不安げな表情から一転、くるりとおばちゃんの眼に好奇の色が浮かぶ。「ほんとう?」

「いや、実際わかんないですけど、たぶん、そうだと思いますよ。ほら、マンガとかでよくあるじゃないですか」

むろん私の論に根拠も何もないのだが、おばちゃんはすっかりそれと信じた様子で「はじめて見たわ」とうなづいた。

「ぼくもですよ」顔を見合わせて、愛想笑いを交わす。そこへ自転車に乗った警官が通りかかる。公道に広がる衣類と空から衣類が降ってくるという異様さに、それこそマンガのように転倒しそうになりながら、あわててトランシーバーを握って住所を伝える。

私にある俗なゴシップ的関心が膨らむ。しかし私には予定があって、その場を離れざるを得なかった。

電車に乗っても、まだいくらか興奮していた。長く生きても、そうそうあんな場面に出くわすものではない。それはともかく、あの男の末路に思いをはせる。そもそもの原因を考える。

やはりもっともらしいのは恋愛のもつれである。女が浮気をした。それに激怒した男が反射的に女の衣類その他を窓から投げ捨てた。あるいは男が別れを切り出した。しかし女は応じない。「ほんとに別れたいなら、あたしの荷物ぜんぶ今すぐ窓から捨てて! ほんとに別れたいなら、それくらいできるでしょ!」男は躊躇しつつも、その決意の固さを示すべく、無言で荷物を放り始める。女は涙をこらえながら、その様子を傍観するしかない。

いやもっと単純にあの男は狂っていたのかもしれない。合法だか脱法だか知らないが、とにかくは薬物で頭がおかしくなっていたのだ。そうでもなければ、いくらなんでも衣類に衣装ケースにと窓から放り投げるなんてしないだろう。

日が暮れて、先の男のマンションの前に差し掛かる。衣類は消えて、しかし男の部屋の電気はついていた。それで少なくとも薬物ではなかったのだとわかる。原因が薬物であれば、すぐには戻れないだろう。

だとすれば原因は恋愛でしかなく、必定、今夜はどこかで男か女が泣いている。いや、昼間はごめんねとか言って楽しく呑んでいないとも限らない。なぜって、他人の恋愛ほどわからないものはない。狂人のほうがまだ易しい。もはや考えても仕方がないので、男に前科はついたかどうかなどと考えて、だけどおもしろくもなくてすぐやめた。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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