私の存在を証する(戸籍謄本なるものについて)
2017/08/22
パスポートを取得する必要があり、戸籍謄本を取り寄せた。そして昨日、仕事から帰ってポストをのぞくと届いていた。
ほかの郵便物と一緒に持って、エレベーターに乗る。封筒を見やると切手がプーさんで、それは東京にあって異物のようにありありと広島にある実家の空気と時間の流れ、なにより母の存在そのものを伝えていた。
家に帰って、郵便物を一緒くたにして放る。ひと通り雑事を片付けて、夕食にした。酒を呑みながら、先の封筒を開ける。何かしらの手紙が入っているかと思ったが、二枚の公的書類がホチキス留めされたきりであった。
開くと大きく「睦仁」という字が目に飛び込む。「戸籍に記録されている者」とあり、『【父】新宅 清太』、『【母】新宅 久子』と続く。それを見ると、ああ、そうか、私は彼と彼女の子であったかと、当たり前に過ぎることではあるが、どうしてその感慨は浅くなかった。
そのような記載と同じように、父「清太」にも、母「久子」にも、その父と母の名が記載されている。つまり私から見れば祖父母である。その両祖父母のうち、すでに3人は鬼籍に入っているが、しかしこうして名前は残っている。それは祖先とか、系譜とか、歴史とか、時空を超える漠とした広がりを感じさせる。
身分事項 出生
【出生日】昭和24年5月18日
【出生地】山口県岩国市
【届出日】昭和24年5月24日
【届出人】父
以上の父の出生についての記述を見ると、まだ私が存在する予兆さえなかったその日、父が生まれ、そして6日後に、祖父が市役所に届けに行ったという光景が、息づまるほどのリアリティでもって浮かんでくる。祖父は若く、焼けた肌は筋骨たくましく、働き盛りである。水はじく肌つやの祖母は、生まれて間もない父をいかにも愛おしげに抱いている――。
【婚姻日】昭和54年4月28日
【配偶者名】藤井 久子
それから父と母が入籍した日の記述が連なる。ここまで来れば私の存在まであと一息である。この1年後に姉が生まれ、3年後に私が生まれる。そう考えるだけで、無数の記憶が溢れ出し感極まりそうになる。むろん、そこにめくるめく悲喜こもごものストーリーなど、ただの一行も書かれてはいない。しかし無味乾燥な情報の羅列は、圧倒的な現実感で、私があの日生まれ、今日の今日まで生きてきたことを証立てる。
それはいっそ感動的であった。おまえはこうこうこういう人間であるのだと。そのことに、理由もくそもない。アイデンティティもへったくれもない。そこにあるのは、ただひたすら純粋に事実なのである。その揺るぎなさは、時に感じる自己の存在の嘘くささ、心許なさ、曖昧さ、そういう一切をばっさと切り捨ててなお泰然としているのであった。
ルソーの言葉を思い出す。「われわれはいわば二度生まれる。一度目は存在するために。二度目は生きるために」――そのとき私が感じたのは、おそらく三度目にあり得べきそれだった。即ち、「生き続けるために」。生きれば生きるほど膨らむ、自己の存在に対する懐疑心。私は私という存在を不安で確かめたく、それが思いがけない形で叶えられた、というような。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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