愛国心の出ずる処

日曜の夕暮れ、オランダのとあるバーで、ミラノ・コルティナで開催されている2026冬季オリンピックが中継されていた。

種目は女子のスピードスケート。スポーツ全般に興味がない私は、ぼんやり、日本や韓国、アメリカやオランダの選手が競うのを、ビールを舐めながら眺めていた。

ルールはよく知らないが、二国の選手が一対となって滑り、全体の中でタイムが最短となった選手が勝ちという仕組みらしい。つまり、ある戦いで敗れたように見えても、メダル獲得に食い込んでいることもあり得るわけだ。

何度目かの対戦で、オランダと日本の選手がスタートラインに並んだ。「Kijk uit!(カイクアウト ≒ しっかり見とけよ)」――顔なじみの男性客が、私を指さして叫んだ。

私は苦笑いしつつ、勝負の行方を見守った。しかし、選手二人が並んだ時点で勝敗は明らかに見えた。オランダ人の体格の良さは尋常ではない。というか異常だ。世界でもっとも平均身長の高い国なのだ。そんな人々に対し、日本人は小人に等しい。

バーの客は全員ローカルのオランダ人である。極東から流れ着いてしなびたような日本人など私ひとりきり、アウェイの極みである。場の雰囲気は完全にオランダ一色。きわどい競り合いになるたび、いかにも「勝てオランダ」、逆に言えば「負けろ日本」と言わんばかりにどよめく。

とはいえ、正直なところ私はどちらが勝とうが知ったことではない――そもそも、この世のすべてのスポーツファンに対して思うことなのだが、その応援しているチームなり選手なりが勝ったとて、いったい自分になんの得があるのかと不思議でならない。

接戦が続く。オランダが頭ひとつ抜けたかと思うと、次のコーナーで日本が巻き返す。終盤が近づくにつれ歓声が高まる。そして何がどうなったのか、予想に反して日本の選手が勝ってしまった。

瞬間、私の胸中に思いがけない感情が走った。それは、吹けば飛ぶような塵芥にも等しいものではあったが、喜怒哀楽で言えば間違いなく「喜」にあたる何かしらであった。

先ほどの男性は私の方を見やり、「やるじゃないか、日本」というようなことをオランダ語で言ったと思う。たぶん。

私はさも自分の手柄のように親指を立てて応じたが、よくよく考えればおかしい。言うまでもなく、勝利は彼女の手柄である。私は酒を飲みながらぼけーっと間抜けヅラで眺めていたに過ぎない。

もし、彼女が身内か何かなのであればまだわかる。しかし、彼女は親戚でも友達でも知り合いでもない。友達の知り合いの親の仕事先の上司の子供の同級生なんてわけでもない。呆れるくらい一切関係がない。

そう、勝利した選手と私とは、「日本人であること」以外のつながりは何ひとつないのである。にも関わらず、私の中に喜びっぽい何か――たぶんそれは一般的に「誇らしい」という言葉で形容されるもの――があった。

いわゆる同胞として、日本人の偉業を喜ぶ。当たり前じゃないかと思われるかもしれない。しかし、本当にそうだろうか。

たとえば、あなたの隣の家の子供が高校なり大学なり志望校に合格したとして、心の底から喜べるだろうか。

もちろん、だれでも上っ面くらいは大仰に驚き喜んで、世辞のひとつやたふたつは言う。しかし、実際問題、赤の他人のクソガキの身の上である。大企業に就職しようが、結婚しようが子供ができようが、知ったことではないのではないか。

私らしくもない妙な感情を持て余しつつ、その後も続くレースを観ながら考えた。もし、これが日本の居酒屋だったらどうだろう。周りはみな日本人ばかり。当然のごとく日本を応援している。私は、どこにでもいる中年の日本人男性でしかない。あなたも私も日本人、周囲の誰とでも代替可能なありふれた存在である。

冷めた目で、遠巻きに、いっそ嘲けるようにオリンピックを見ている自分が目に浮かぶ。なるほどと思う。私はいま、日本の外、オランダにいて、オランダ人に囲まれているからこそ、日本で生まれ育った日本人であるという自分の属性を強く意識させられているのである。

要するに「オランダ対日本」という状況が、一種の対抗心として私の中に愛国心的なものを生じさせているのではないか。そう、愛国心とは、対立するものがあって初めて立ち上がってくるものなのだ。実際、国家間の戦争において愛国的な機運が高まるのは歴史の常である。

考えてみればあたり前だ。もし、この世界に国という概念がなく、地球という惑星としてのフレームしかなければ、われわれは愛国心など持ちようがないではないか。私もあなたも地球人でしかないのだ。あるいは火星人なんかと出会ってようやく「愛星心」とでも呼ぶべき感覚を見出すくらいのものであろう。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」とはよく言ったものである。オランダくんだりまでやって来て、はじめて自分の中に愛国心を見出したのだから。

とはいえ、このかすかな愛国心は、日本に帰ればたちまち失われてしまうこともまた確実だろう。となれば、祖国を愛すればこそ、よその国に骨を埋め、「そして悲しくうたふもの」と、愛国者風でも吹かせて散るべきなのかもしれない。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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2026/02/19 更新 悪意の進歩

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