もはや若者ではない
人生の本質は繰り返しである。基本的には日々同じことをしなければならない。即ち、昨日も飯を食ったが今日も食わねばならず、昨日も歯を磨いたが今日もまた磨かねばならない。
しかし時に、どうしてこうも毎日同じことをしなければならないのかと疑問になる。べつに何に対して、誰に対してというわけではなく、漠然と問いたくなるのである。
もっと若かりしころであれば、それだけで何週間も、あるいは何カ月も真剣に思い悩むことができた。しかし今では、ものの数分でそのような〈無意味〉で〈面倒な〉疑問は他愛なく消し飛んでしまう。
よくも悪くもそれが大人というもので、ああ、私も歳をとったなとしみじみと思ふ。したらば自然と酒を求む。ほどなく酔う。ねぶたくなってきて横になる。夜が明ける。以下死ぬまで繰り返す。
そうして人生の時間は確実にすり減っていき、ある日突然あえなく終わる。35年も生きれば終わりが見える。よほど傑出した映画や小説ならばいざ知らず、人並みの凡庸な人生であれば前半を見れば後半など予想するまでもない。
なんだかやけっぱちな物言いだが、そういうわけでもない。もっと若ければ、何か自殺なり蛮行なり、とにかくはパッとした行為にでも及んだろうが、もはやそんな歳ではない。世間のほとんどすべてのことは、「勝手にやってくれ」としか思わない。
悩んだり、考えたり、怒ったり、とにかくは何かしらにかかずらうにはエネルギーがいる。年々、そのようなエネルギーは擦り減る。概して大人は物事に対する反応が薄いのはそのためであろう。
身体、精神ともに、あらゆる感覚が鈍るのである。若者にしか聞こえないというモスキート音よろしく、歳をとればとるほどあらゆる面において無感覚になってゆく。
もう、若者とは一緒に泣けないし、喜べない。もはや若者ではないのである。たまに若者と解り合っているかのように振る舞って得意気な年長者を見るが、どうしてあれは見ていて痛ましいものがある。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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