わからないという理性と、わからなくはないという感情(相模原障害者施設での19人刺殺事件について)

7月26日未明、戦後最大級の大量殺人が起きた。神奈川県相模原市の障害者施設を、元職員だという26歳の男が襲撃した事件である。

窓を破って押し入り、当直の者を殴って、結束バンドで縛り上げた。施設内の鍵を奪い、入所者を次々と刺して回った。結果、19人が死亡し、26人が重軽傷を負った。

まったく酸鼻をきわめていることは言うまでもないが、なによりこの事件が特異なのは襲われたのがすべて障害者だという点である。決して偶然ではなく、犯人は「障害者はいなくなればいいと思った」と供述している。また、以前から周囲に「障害者は死んでくれた方がいい。その方が家族は楽だ」などとも話していたという。

思わず連想してしまうのは、ナチス政権下のドイツで行われた「障害者の安楽死」である。全国の病院に障害者のリストを提出させ、年齢に関わらずガス室へと送り込んだ。1939年から41年まで続けられ、その数7万人にものぼる。

その頃、日本でも符号するような出来事があった。1940年に成立した「国民優生法」である。大和民族の健康維持を旗印に、遺伝性の身体障害者、精神障害者、さらにはハンセン病患者や重度のアル中患者に対する強制的な隔離や断種(子宮摘出等)が合法化されたのである。

このことはすでにネット上で話題になっており、確かに先の犯行はこの系譜において考察され得るものであろう。つまり、彼は単なる大量殺人者ではなく、一種の思想犯だということである。

この世には無数の思想があり、およそ理解に苦しむものも少なくないが、どうして彼の思想はわからなくもない。むろん、理性で考えれば「わからない」と言う。いや、言わねばならない。しかし、こと感情においては、むしろ「よくわかる」のである。

率直に、具体的に言う。私は、我が子が障害者で生まれてくることを望まない。もっともそれは誰しもそうで、この考えを非難される可能性はまずない。しかし、先の思想とこの考えとはそれこそ親子の関係にある。

ごまかさず、認めねばならない。われわれは、障害者を恐れていることを。少なくとも、忌避感を持っていることを。障害者と電車で乗り合わせるとつと目を逸らすのはなぜか。そこには抑えがたく、消しがたい人間的感情がある。

実際、私は今の今まで、障害者を見て、いい気持ちになったことがない。爽やかな、晴れやかな、そういうポジティブな感情を持ったことがない。あるのは陳腐な憐憫の情、自分の身の上に対する安堵、そして未来の我が子が五体満足で生まれてきてくれるようにという漠とした願いくらいのものである。

いっそ極論、この世から障害者がいなくなればいいと、私も思う。その点では、件の犯人と私とは考えを一にしている。そう、みな健康で、五体満足で、自分の考えを持って話したり笑ったり酒を呑んだりできたなら、それほど素晴らしいことはない。

しかし、何をどうしたって、一定の確率で授かってしまうものなのだ。他でもない我が子がそうであるかもしれないし、とにかくは誰かしらがその役目を引き受けなければならない。

それを個人の不幸と思い、社会の負担と考え、そしてこの世の受難以外のなにものでもないから殺す。いかにももっともらしい理屈ではあるが、しかし、あまりにも浅薄なのではないだろうか。われわれは、むしろかの人々に感謝せねばならないのだ。

私はこう考える。障害者は人間の多様性と、人間が人間である所以、つまり人間らしさを担う存在なのだ。障害者のいない世界は、ユートピアではない。むしろきわめて選民的に峻別される、息苦しく生きづらいディストピアなのである。

学校に置き換えてみればいい。勉強ができない子がいるおかげで、勉強ができる子が存在する。運動ができない子がいるおかげで、運動ができる子が存在する。もしできない子たちを排除したらどうなるか。単に優劣の水準がシフトするだけで、またその中でも序列が生じる。それで選りすぐりの優れた人間の世界ができると思ったら大間違いで、最後の一人になるまで選びに選び抜き、そして滅ぶ。

だから、我々は障害者に感謝しなければならない。障害者はこの世界に必要欠くべからざる存在なのだ。いやもっと、老若男女、美醜、頭の良し悪し、あらゆる優劣、あらゆる清濁、そのすべてがこの世界には必要なのだ。だからこそこの世界は豊かで、何十年過ごして飽きることもなく、死ぬまで生きるに値するのである。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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