夢をあきらめる、それぞれの
2017/08/22
知人が『作家志望をあきらめる夏』と題してブログを書いていた。私は基本的にWEB上で他人の文章はまったくと言っていいほど読まない質なのだが、どうして胸に響くものがあって最後まで読まされた。
彼は作家になろうと夢みて20年、いま30代後半となって諦めるのだという。と、この説明だけで、一般のふつうの人から見れば状況はもう十分に〈詰んで〉いる。むしろ今まで諦めなかったのを不思議がられるくらいであろう。
しかし私は自身がいまだ夢を追い続けている上に立派な中年(34歳)になってしまっている身空であるので、彼の気持ちは痛いほどによくわかる。だからこそ、彼が何のてらいも虚飾もなく等身大で開陳した胸の内に心からの敬意を表したいのである。
とはいえ、世間に夢を諦めた人などごまんといて、珍しくもなんともない。しかし、「諦めた」と公言する人は少ない。もっと、皆無だと言っていい。理由は簡単である。苦痛だからである。
何かしら夢を抱いて、実現すべく努力をする。その道程で、期待があり、失望がある。迷いがあり、決断がある。喜びがあり、涙がある。とにかくは山あり谷ありのその後――夢を追う者であれば、誰しもそのようなプロセスを辿る。首尾よくそのまま成功する者もあるがやはり一握りで、大抵の者は〈諦める〉、否、〈忘れる〉。
その夢を〈諦める〉と公言することは、かつてその夢を追うと決断したことと同等か、それ以上の勇気がいる。自分が費やしてきた時間、労力、金銭、あるいは若さ、そのすべてを「どぶに捨てる」ことに他ならないからである。
もちろん、人生にあったすべてのことは糧になり、何一つ無駄にはならない。それはそうであろう。しかし、こと〈諦める〉という決断をするその時には、どうにも自分の行為の一切合財が徒労に終わったという虚しさに襲われてしまうのである。
だから人は曖昧にして、時の流れに任せようとする。折に触れて「別に辞めたわけじゃない」とか、「また機会があったらやりたい」などと、自分を周囲を納得させながら、決断という苦痛を避けて〈忘れる〉のを待つのである。
これは別に、誰の受け売りでも、想像でもない。私自身の経験から書いている。
以前、私には2、3年ばかり絵を辞めていた時期がある。大学を卒業した後もしこしこと絵を描き続けていたが、十年経っても一向に目が出ず、本気でふつうのサラリーマンとしての処世を考えて仕事に励んでいたのである。
誰も信じないだろうが、そのころは残業も厭わなかったし、プライベートでも朝早くに起きて仕事の関連書籍などを開いて勉強もしていた。そうしてこれが私の正しい人生なのだと思い込もうとしていた。
日本のアーティストなんて、いくら売れてもせいぜいが年収500万程度の貧乏に過ぎない――そう思い、あるいは念じ、少なくとも私は年収500万など軽く超えてやると、日々の仕事に精を出した。にも関わらず、しかし胸の奥底には、かすかな疼きがいつまでもあって、消えなかった。
同年代の知り合いの展示情報などに接するにつけ、心の中で毒づき、くだらないことに人生を費やすクソ貧乏どもめと貶めた。しかしそれでも、どうしようもない羨ましさがあった。願わくばそちらの世界に行きたいと願っていた。それがごまかしようのない私の本心だった。
それから何がどうなってこうなったのか、私はまた美術の世界を泳ぐようになった。幸か不幸かはわからない。しかし、私は美術のことをどうにも好きで、この美術というやつがこの世で一番すばらしく、おもしろく、自分の全人生全生命を賭するに値すると、手放しで信じられるのである。
おそらく、どんな夢であれ本当に辞めてしまう人は、夢を忘れる人なのである。自分の意志や現実の評価と真摯に格闘して、のたうち回ってもんどり打って夢を諦めようとする人は、たぶん結局のところ夢を追うことを辞められない人なのだと思う。それで私は彼を後者だと思うが、それは私のあずかり知るところではない。
本郷保長『作家志望をあきらめる夏』(2016年08月04日 12:37)
http://www.en-soph.org/archives/48120287.html
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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