とても元気な死んだ人(放送大学の亡くなった教授の講義を聞いて)
放送大学のラジオを聞き流していると、ふっと静かになって、アナウンスが流れた。――教授は、2015年5月29日、ご逝去されました。謹んで、哀悼の意を表します。
そして講義が始まる。いかにも老人らしい語り口の男性教授と、快活で若々しい発声の女性教授とが話を進めた。男性教授の声には力がなく、痰とまではいかないが、終始いがらっぽいものが混じっていた。さもありなん、と私は思った。
後日、同じ講義の続きがあった。また同じアナウンスが流れた。しかし、それはよく聞くと女性の名であった。どういうことかと思う間もなく講義が始まる。前回同様、いつ死んでも不思議ではない感じの男性教授と、およそ衰えとは縁のないような女性教授だった。にわかには信じられず、私はネットで検索をかけた。やはり亡くなったのは、この女性教授のほうであった。
女性教授の声は、若々しく、かろやかで張りがあった。ときに冗談をはさみ、高く笑った。そこにはなんらの死の影も認められず、むしろ豊かな生命力をさえ感じさせた。
しかしすでに彼女はこの世のどこにもおらず、遠くしめった土の下で深く眠っているらしい。だとしても、こうして講義を聞いている私にとって、彼女は生きているのと大差なく、もっと、同じだと言っても過言ではなかった。
人が本当に死ぬのは忘れられたときだと、漫画のワンピースだかのセリフであったが、確かにそんな気がする。ことわざにも、虎は死して皮を留め人は死して名を残すとあるが、まさか偉人でなくとも、誰かひとりでも名を覚えてくれる者があるうちは、誰もかれも死ぬことがないような気がする。
そのように考えると、生きていることも、死んでいることも、心ひとつのように思えてくる。かつて仲睦まじく交わった人でも、ある日を境にぱったりと、もう二度と会わなくなってしまうことも珍しいことではない。
歳を取ると、自然、そういう人たちが増えていく。折に触れて彼や彼女のことを思い出す。あのとき、あの関係は、いったいなんだったのだろう。そしていまごろ、何をしているのだろうと、思いをはせる。むろん、死んではいないと思うが、実際はわからない。なんにしろ、私はそれぞれの死に目に会えるわけでもなく、どこにいるのかも知らなければ、どうなっているのかもわからない。言うまでもなく、訃報さえも届かない。
それはあちら様も同様で、たとえ私が名を成して死んだとしても、知れるのに数日はかかるだろう。あるいは何カ月も何年も、死ぬまで知らないことだってあるだろう。その間、私はあちら様にとって、どうしようもなく生きてしまっているのである。それが遅延にしろ誤解にしろ、そのような〈ずれ〉は、この世の至るところにあって尽きることがない。だとすれば、誰ひとりとしてある日のある瞬間に揺るぎなく明確に死ぬということはあり得ないのではないか。
死というものは、万人にとって冷たく固く絶対的な現実だとばかり思っていたが、ひょっとしてひょっとすると、あたたかく、やわらかく、あいまいな雲隠れのようなものなのかもしれない。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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