人ごみと群れとイルカ(スマホの自撮りで死んだイルカ)

最終更新: 2025/04/26

人ごみが好きな人はまずいない。しかし、群れるのが好きな人は少なくない。

口では人ごみが嫌いだと言いながら、バーゲンだ人気店だと列をなし、ライブだイベントだと言っては人海に遊ぶ。

つまり、自分にとって好ましくない、あるいは益のない人々の集団を”人ごみ”と呼んでいるに過ぎない。しかし、人ごみは人畜無害である。人ごみというものは”たまたま”そこに居合わせただけの集団に過ぎず、放っておいてもいつの間にか消えているものだ。

一方、”群れ”は腹に一物秘めているような危うさがある。つい先日、南米のアルゼンチンの海岸でその例証が上がってきた。むろん、”上がる”というのは海に対する掛け言葉であるのでくれぐれも流さないよう。また、”流す”というのは水に対する掛け言葉で、というか先に用いた”人海”というのも伏線で――閑話休題。

リゾート地でもあるらしいその海岸で、ある日イルカの赤ちゃんが見つかった。それで観光客が殺到した。ここまでならば、あるいは昭和でもそうだったろう。珍しいね、かわいいねで終わりである。しかし平成ならではの続きがある。スマホで自撮りに記念にと撮影大会が始まったのである。

これが”群れ”である。人ごみでは決してない。人々の意識はばらばらでも散漫でもなく、「イルカかわいい! 写真撮りたい!」という一つの方向に向かっている。そのため、人ごみのように放っておいても自然に消えることはない。バーゲンや人気店で言うところの”完売”や、ライブやイベントでいうところの”終了”にならない限り、群れは群れであり続ける。

イルカ! イルカ! イルカ! 断っておくが日本の歌手のことではない。動物のイルカである。それはともかく、群れは次第に熱狂の度合いを深めてゆく。イルカが水から上げられる。触りまくられ、撮りまくられながら、人々の手から手へと渡ってゆく。

これがもしも歌手のイルカだったなら、私はまだまだやれるんだとむせび泣いたかもしれない。しかし悲しいかな、動物のイルカの赤ちゃんは、そのうちに脱水症状を起こして死んでしまったのであった。

そしてレスキューか何かが駆けつけて、「Sold Out」あるいは「フィナーレ」である。群れる理由を失った群れは、蜘蛛の子を散らしたように雲散霧消したことだろう。お後がよろしいようで、これにてお開き、というわけである。

後日、アルゼンチンの動物愛護団体が以下のような声明を出した。

『イルカは水から上げられると長くは生きられません。皮膚が厚く、脂肪を多く含んでいることもあり、太陽光等に影響を受けやすいのです。海から上げてしまうとたちまち脱水症状になり、死に至ります』

わざわざそんなこと、言われなくても”ふつう”に考えればわかることである。しかし、群れというのは一種の狂気であって、暴力なのである。群衆心理などということを引き合いに出すまでもなく、個々の人間がどんなに善良でいかに正常でも、群れるや否や、ほとんど異界の怪物が立ち現れてくる。

そうしてイルカは群れという名の怪物に殺されたのであった。その群れはあなたでもあり私でもある。いつどこにでも出現し得る不定形な流動体、それこそ怪物なのである。

ここで群れることの是非を語るつもりはない。ただ、群れるということはその怪物の一部に取り込まれることなのだということは、少なくとも知っておくべきだろうとは思う。仏典にもあるように、無自覚は罪である。その上であなたが怪物になるか人間になるかは、もちろん個々人の自由としてある。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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