終了の「くたばれ東京藝大」展から
2017/08/22
とにかくはご来場いただいた皆様、どうもありがとうございました。
が、わけあって今日の朝や昼などは、もう実家に帰って就職してしまおうかしら、なんて考えていた。そのせいか何か、昼のまどろみで見た夢は、家族で海水浴に来ているという内容だった。
抜けるような空のもと、老若男女、特に若者をメインとした明るい声が飛び交っていた。ぼくはその時、家族のもとを離れて一人砂浜をゆっくりと歩いていた。とその時、空全体が微動したかと思うと、砂浜が大きく揺れ始めた。地震だった。
僕は誰かの叫び声を聞いて、波打ち際から高台へ向けて全力疾走を始めた。家族のことが、特に妹のことが気になったが、全力疾走の中での視界では、とても見つけられなかった。振り返ると、恐ろしく大きな波が、いままさに砂浜に襲いかかろうとしていた。
どうにかこうにか、僕は間一髪のところで高台に逃げ延びることが出来ていた。しかし安堵よりも家族のことが心配になって、僕は家族を探しに出掛けた。母や父はうまく逃げられたらしく、すぐに再会することができた。しかし、妹の姿はどこにもなかった。
僕は砂浜に降りて、探しまわった。砂浜を縦横無尽に歩き、できる限り大きな声で、妹の名を繰り返し叫んだ。しかし一向に返事はなかった。
僕の張り上げる声は空の高みで一瞬ためらうように留まって、すぐに掻き消えた。掻き消え続けた。それでも、僕は妹の名を叫びながら探し回った。やりきれない、どうしようもなく心許ない感情がふつふつと込み上げてきて、僕はどうやら涙を流し始めているようだった。
妹が巨大な波に呑み込まれて、テトラポットに打ち付けられて、というような最悪の場面を想像しながら、しかも少しばかり最悪の結果を確信しながらも、僕は歩き続けた。暗転、目が覚めた。
僕は安堵して、携帯を開いた。メールが二件ほど届いていて、読むと、すぐにそのメールを消した。二度は読みたくなかった。僕はもう一度、目をつむった。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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