うたのおにいさんのラリルレロ(元NHK歌のお兄さんが覚せい剤で逮捕されて)
2020/08/19
おそらく、戦後日本で生まれ育った子供で『おかあさんといっしょ』を知らない人はまずいないだろう。1959年10月5日に放送を開始したNHKの教育テレビ番組で、その名の通り『母と子が一緒に楽しむエンターテイメント番組』である。
「おかあさんといっしょ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2016年4月17日 (日) 02:53 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org
うたのおにいさん――その響きは、私を童心に返らせる。終始とびきりのスマイルで番組を進行する、うたのおにいさん。たとえ子供が泣き出しても、笑顔で手をつなぎ、なだめすかして抱きかかえ、テンション高くスタジオ内をぐるぐると走り回ってやっぱりニッコニコであった。
その、ぼくやわたしのうたのおにいさんが、覚せい剤で逮捕されたのである。
元NHKうたのおにいさん 覚醒剤所持の疑い 俳優の杉田光央容疑者逮捕
NHKの子供向け番組「おかあさんといっしょ」で「うたのおにいさん」を務めた俳優の杉田光央(あきひろ)容疑者(50)が、覚せい剤取締法違反(所持)容疑で現行犯逮捕されていたことが14日、警視庁への取材で分かった。組織犯罪対策5課によると、「間違いありません」と容疑を認めている。
逮捕容疑は13日、都内で覚醒剤を所持していたとしている。同課が使用についても調べる。
杉田容疑者は平成11~15年、9代目のうたのおにいさんとして出演。その後は俳優として舞台などで活動していた。産経新聞 4月14日(木)16時3分配信http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160414-00000534-san-soci
なんともいえず、複雑な気持ちにさせられる。しかし、さもありなんとも思う。あのハイテンションは、確かにちょっと〈正気の沙汰〉ではなかったから。うたのおにいさんのそれは、子供とイコールと言っても過言ではなかった。起きている間中、上物のドラッグを限界までキメているような、あの子供たちのテンションと、である。
たまに子供と接すると、その元気とパワーに圧倒される。現在子育てに追われている父母の方々は、そのことを身を持って感じ、またくたびれてもいることだろう。しかしそれでも、何気ない日常に散りばめられた宝石のような可愛さを見るにつけ、気力がよみがえり、どうにか子供に食いついていこうと張り切って、がんばる。
孫と遊んでいる祖父や祖母を見ていると、それが如実に感じられる。子供は彼らの衰えた身体能力など一切お構いなしに、無茶な要求を繰り返す。おじいちゃんやおばあちゃんは、ただただその可愛らしさに文字通り引きずり回されて、しばしば年寄りの冷や水に果敢に挑む。そこには掛け値なしの愛がある。
私は、うたのおにいさんにもまた、同様の愛を見るのである。彼は、子供たちを愛していた。愛して止まなかった。それで子供たちと一緒になって、飛んで、跳ねて、走って、転んで、楽しく全身を使って、魂を震わせて笑おうとしたのだ。
それをいつもいつも〈正気〉でやれるという人は、大人ではなく幼稚であり、いっそ子供そのものであろう。うたのおにいさんは、完全な大人であった。気分の浮き沈みや、今後の仕事の展望、住む所や金銭、友人や家族のこと、果ては人生について心をくだく、立派な大人であった。
そのような日々の中で、しかしあの信じられないハイテンションを常に100%発揮しなければならない。悲しい時、辛い時に無理をして笑わなければならないほど苦しいことはない。長い人生には、しかめっ面でいること、泣くことこそが安楽で休息を与えてくれることだってあるのだ。
しかし、うたのおにいさんには責任感があった。〈大人の都合〉で子供たちを裏切ることはできない。そこにある日、薬物が甘くささやいた――。勝手で安易な想像ではある。それにどんな理由であれ、覚せい剤は許されざる犯罪には違いない。だとしても、私はうたのおにいさんの仕事を心から評価したいと思うのだ。たとえ、うたのおにいさんの演じたすべてが、覚せい剤がスカッと効いたうえでの笑顔であり振る舞いだったとしてもである。
かつて、うたのおにいさんにお世話になった子供たちはすっかり大人になっている。うたのおにいさんは、今では「元歌のお兄さん」なのだ。現役のちびっ子たちには、もうその名を呼ぶことすらできない。呼べたとしても「……のお……さーん!」であり、全然意味がわからない。そう、「うたのおにいさん」は、あるいは一緒に酒を呑める大人向けの「元歌のお兄さん」に生まれ変わったのだ。
今回の事件は、反面教師という意味だけでなく、我々が学ぶべきことは少なくない。というより、「うたのおにいさん」の教育はまだ終わってなどいない。否、「元歌のお兄さん」の教育はどこまでも続くのだ。私は、彼がお勤めを終えて出てくるのを待っている。どこか場末の居酒屋で、「うたのおにいさん」あらため、「元歌のお兄さん」をも脱皮した、流しでさぶらう「唄の兄貴」として帰ってくるのを、私は心待ちに待っている。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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