本を読んでもわからない(読書と頭の良し悪しについて)

  2020/06/26

まずは黙って以下をお読みいただきたい。

人間の盲目と悲惨とを見、沈黙している全宇宙をながめるとき、人間がなんの光もなく、ひとり置き去りにされ、宇宙のこの一隅にさまよっているかのように、だれが自分をそこにおいたか、何をしにそこへ来たか、死んだらどうなるかをも知らず、あらゆる認識を奪われているのを見るとき、私は、眠っているあいだに荒れ果てた恐ろしい島につれてこられ、さめてみると〔自分がどこにいるのか〕わからず、そこからのがれ出る手段も知らない人のような、恐怖におそわれる。
【パンセ(中公文庫)パスカル著、前田陽一・由木康訳】P448

『人間は考える葦である』というあまりにも有名な言葉を残したパスカルの『パンセ』の中の一節である。なんて、仰々しく書き出してはみたものの、正直、私自身にもなんのことやらさっぱりわかってなどいない。

人間は考える葦だというくらいであれば、まあ、そういうものかもしれないなあと理解することもできようが、ここまでくると、何を言いたいのかはおろか、何を言っているのかすらよくわからない。

しかし、もちろん世の中には偉い人がごまんとおられるのであろうから、この素晴らしい内容を解せないとは、なんと痛ましき貧しいオツム! と哀れむ方もいるだろうとは思う。とはいえ、わからないものはわからないのである。ただ、私はわからないけれども、それでもしゃにむに読み続けるのである。

私はここ数年来、年間コンスタントに100冊程度は本を読んでいるため、謙遜しても読書家の部類には入るであろう。2014年の文化庁の調査データでは、マンガや雑誌を除く1カ月の読書量は、「1、2冊」と回答したのが34.5%、「3、4冊」は10.9%、「5、6冊」は3.4%、「7冊以上」が3.6%だったのに対し、「読まない」との回答が最も多く、47.5%だったという。
「1冊も本を読まない」…47・5% 文化庁調査で「読書離れくっきり」 産経ニュース 2014.10.11 17:00http://www.sankei.com/premium/news/141011/prm1410110018-n1.html

つまり、いわば私は読書界の富裕層、エリートなわけである。世間では何かにつけてエリートの言葉がありがたがられる傾向があるが、是非ともここでも平素の俗物精神を発揮して私の言葉に傾聴いただければと思う。

それはともかく、私は本を読む。しかし、先のパンセにもあるように、なにも私が読んだ本のすべてを理解しているわけでは決してない。むしろ大抵はよくわからない。内容を覚えているわけでもなく、たちまち忘れてしまう。それでも読むのである。

おそらく、多くの人は「わからない=つまらない」こととして切り捨ててしまう。それは特に現代アートにおいて如実に表れている世間一般の傾向である。よくわからないものを見てもしょうがない。それは確かにその通りである。しかし、あなたがわかるものだけを見て、わかるものだけに触れて、わかるものだけを楽しむのだとすれば、あなたの世界は死ぬまで狭く閉じられたままである。

あなたにとって理解不能なものは、即あなたにとって価値あるものだと言っても過言ではない。それはあなたの世界を否応なく押し広げる力を持つ。

たとえば子供の時分、誰しも親の言うことに納得がいかずに葛藤したことがあるだろう。あれもまた、ひとつの理解不能なものとの遭遇である。理解不能なものとの格闘こそが、人を成長させるのである。

もしも自分の考えや感覚を共有できる子供達だけの世界で暮らすとすれば、まさにネバーランドができあがることだろう。しかもそれは、選択としての「大人になりたくない」子供たちではなく、無知蒙昧によって「大人になれない」子供たちの国である。言い方は悪いが、そのような阿呆が集まった国が、ピーターパンに見るような永遠の輝きを持つとは到底思えない。

とにかく、わからなくても読むことが大事なのだ。少なくとも、あなたにとって何がわからないのかということは〈わかる〉ようになるはずである。わからないものを遠ざけてしまうのではなく、「わからない! 全然わからない!」と辟易しながらも文字を追う。追いかける。いっそ修行である。しかしその先に、ごく稀にではあるが、邂逅と呼ぶべき尊い出会いがある。それは確実にあなたを力強く拡張するのである。

最後に、もう何度も書いているが、私の読書愛を決定づけたような話がある。中国にある豪傑が居た。戦に負けて、捕われの身となった。敵の武将は、どうして殺さずに牢屋に入れておいた。そこへ僧侶が、毎日一冊の書物を投げ込んだ。歳月が流れた。ある日、僧侶は豪傑に問うた。「長らくそこに居て、何がわかったか」豪傑は答えた。「はい。世界は広いことがわかりました」――。あるいは、このブログのタイトル「むろん、どこにも行きたくない。」も、そこから来ているのかもしれない。無闇に世界に出ていったからといって、何がわかるものでもないのだと、私は信じている。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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