戦争も原爆もひとつのエンタメとなりにけり(オバマ大統領の広島訪問、スピーチについて)
2017/08/22
先月末、アメリカのオバマ大統領が広島を訪れた。現役の米大統領としては初めての訪問だという。
これについて、知人に感想を求められた。むろん政治に疎い私に批評の類を期待されるはずもなく、単に広島で生まれ育ったという出自によってである。とはいえ、少々困っている。正直、まあ、よかったんじゃないかとしか言えないのだ。
原爆の謝罪について注目されていたが、献花の際のおじぎの角度は微妙で、スピーチも抽象的なものだった。しかし意義あることは確かで、ことに被爆者の手を取り抱き寄せたのは感動の歴史的瞬間であった。
以上すべてニュースによるが、現にいま広島に暮らす者にしても知るところは大差ない。ケネディ大統領暗殺がリアルタイムで中継されて以来そうである。現地の空気を言う者もあろうが、結局大半はテレビを、スマホを、PCを通して見聞きしたに過ぎない。
地元のことは地元の人が一番よく知っているというのはよそ者の期待と思い込みで、往々にして当ては外れる。確かに広島に原爆は落とされたが、それはもう70年前のことである。きな臭さはおろか、せいぜいがお好み焼きくさいほどの現在、よその人と根本的に意見を違えるような特殊な空気は絶無である。
からくも被爆者団体のひとりが、オバマ大統領の原爆資料館の見学時間が10分足らずだったと憤っていたが、それは広島でもごく一部の少数派に過ぎない。広島の人々の大勢は、オバマ大統領の来訪を、スピーチを、ひとつのエンターテイメントとして消費したのである。
なにも故郷を貶めようとするのではない。オバマ大統領が来広した日、ある飲食店で八百屋の値札よろしくマジックで走り書かれた、次のような貼り紙があったのをその証左とする。
『オバマ大統領を見に行ってます。帰ってから営業します。よろしくお願いします』
これは決して広島にあって特異な人ではない。他は推して知るべしである。たとえ祖父に祖母にピカの悲惨を聞かされて育ったとしても、今日明日の生活以上にリアルなものがあるだろうか。つまり今は楽しくやっている。それだけのことである。
だから私は「まあ、よかったんじゃないか」としか言えないのである。広島の人間だからというだけで、戦争や原爆についての卓見があるわけではない。いま広島に生まれ育った者にあるのは、原爆の当事者として振る舞える権利だけである。
馬鹿でも原爆について問われれば沈痛の面持ちで重く語るのである。葬式で笑わないのと同じで、特別なことは何もない。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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