ほぼエッセイ、ときどき現代の美術とアート。

選挙という名の競馬(参議院選挙の投票を控えて)

  2017/08/22

いよいよ今週末は参議院選挙である。と、書き出してはみたものの、そもそも興味がない。例によって行かない。

選挙制度は民主主義の要で、尊い国民の権利であり、重要な社会参加だと言われるが、とてもそうは思えない。

しかし、一応は知っている。かつては選挙権などなかったのであり、その後、一定以上の税金を納めた者にのみ投票権を与える制限選挙の時代を経て、現在に至る。

つまり、選挙権とは決して当たり前にあるものではなく、歴史の中で「勝ち取った」ものなのである。まして、その権利の行使を怠り続ければ、いずれ剥奪されかねないということもまた承知している。

しかし今、選挙権がなくなって困る人がどれだけいるか。昨今の投票率を見ればわかりそうなものである。いらない人の方が多いくらいではないか。にも関わらず、毎度性懲りもなく「選挙に行こう」と一大キャンペーンをぶつ。ほとんど選挙のための選挙で本末転倒の感がある。

私には信じられない。自分の一票で世の中が良くなるとも悪くなるとも思えない。世の中は無限の欲望が交錯してとめどないのであって、往々にして自分にとっての利益は誰かの不利益となる。その逆もまた然り。

私にとって、選挙は競馬である。と言っても、私は競馬に限らずギャンブルはやらないから、競馬のことはわからない。それでも馬が競争しているということだけはわかる。

選挙掲示板もとい出走表を眺める。あるいは競馬新聞を見る。それで毛並や戦歴、コンディションを推しはかる。ただ選挙では、一番「走りそう」な馬ではなく、一番「走ってほしい」馬を選ぶところが違う。

しかし結局は多数決で決まる。選挙に大穴はない。あればスマイル党のマック赤坂などダークホースになり得ると私は思うのだが、しかしこと選挙ではふつうに落ちて終わりである。自分がいくら熱を上げて応援しても、賭けるだけ無駄な馬がいるのである。

そんな競馬に行く価値があるか。おもしろくもなんともない。勝手にやってくれ。世の趨勢が右を向こうが左を向こうが、小市民はひたすらに翻弄されて生きていくしかないのだと、私ははなから諦めている。あの毎年やってくる赤紙のような都民税さえ如何ともできないのに、戦争や平和が意のままになるわけがない。

己が一票で世の中が変わると信じている人は、自分の頭で考えることを知らぬよほどおめでたい人に違いない。ことに私は芸術家だから、「紅旗征戎吾事に非ず」と決め込んで、軍靴の音が高まろうが戦端が開こうが、命を賭してゲイジュツするだけである。

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