その人と作品は別もの(ゲスにファンキー、不倫報道で叩かれる歌々について)
2016/06/09
今年に入って芸能人の不倫報道が相次いでいる。ここまでくると皆なにがしかのやましさはあって、程度の差で上から順繰りに暴かれているようにも思えてくる。
しかし人間生きていればこそ、ひとつやふたつやましさがあるのは自然で、ことに世に名をはせた者であれば、その浴する光の分だけ陰もまた深いのは道理である。
むろん、おいそれと看過できるものではないが、しかし、世間の叩き方にはどうして嫉妬が透けて見える。舛添要一都知事に対する糾弾もそうだが、他人がいい思いをしているのを、庶民は決して許さない。そして自分たちと同等のレベルに引きずり下ろさなければ頑として承知しないのである。
それが大衆というもので、私もその内の一人だとしても我慢ならないことがある。それは不貞の人となったかの歌はもう聞きたくないという声である。
馬鹿も休み休み言え。要するにそれは、作品と作者の同一視である。作者の人格が作品の質を担保するとは、低俗にもほどがある。しかし同時に、ああそうか、だから日本の文化水準はいつまでも地を這うが如しであるかと納得もした。
古今東西、作家に芸術家、いわゆるアーティストと呼ばれる人の醜聞は数限りない。しかしそれは、決して作品自体の質を押し上げるものでも下げるものでもない。
たとえば小説家の島崎藤村は姪をはらませて国外へ逃亡したし、バロック時代の画家カラヴァッジョは殺人まで犯しているし、ピカソは不倫相手が鉢合わせて喧嘩しているのを尻目に悠然と絵を描いた。
そして現在、彼らの評価はどうだろうか。要するに、優れた作品はひとり歩きする運命であって、作者の人格や素行は一切不問となるものなのである。
ただ、それはひとえに作品が〈優れている〉場合に限るのであって、今回、かの歌が真に価値あるものかどうか私は知らない。しかし、少なくとも作品と作者を混同するような鑑賞態度だけは、相当にゲスだといういうことだけは肝に銘じておいたほうがいい。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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