その習慣のかたまり(ブータンが世界一幸せな理由の考察)

上野の森美術館で『ブータン ~しあわせに生きるためのヒント~』という展示を見た。民族衣装や仏像など、地味ではあるが興味深い品々が並んでいた。しかし特に印象に残ったのは、ブータンの人が一日に祈る平均時間は1.5時間だということである。

映像で紹介されていたブータンの人々が祈る姿は、イスラムのそれに似て仰々しかった。ひざまずき、頭を何度も上下する。ただ、両の掌を仏教式に合わせていることだけが、日本との親近を感じさせた。

ブータンは世界一幸福な国だと言われるが、その理由を見た気がした。一日に1.5時間も祈っていれば、我々とは根本的に感性が違って当然である。「人間は習慣の生き物である」とはアメリカの哲学者ジョン・デューイの有名な言葉だが、習慣が違えば人間そのものが違ってくる。

祈りとはつまるところ対話である。どんなに我利我利の祈りでも、自分以外の何者かを想定せざるを得ない。〈祈り〉と〈願い〉を混同してはならない。祈りはキャッチボールであり、願いは遠投である。願いの典型として、七夕の短冊を考えてみればよい。一方的に書きなぐってぶら下げて、次の日には忘れている。

そうして祈りが他者とのやり取りである以上、祈るとき人は謙虚になる。その他者はもうひとりの自分かもしれないし、目に見えない何者かかもしれない。どちらにしろ、祈りは人の胸の内で循環し、変容する。それを内省という。

だから祈る者は幸せだろうと、私は思う。いま日本に、日にたった一分でも祈る者がどれだけいるだろうか。祈りを忘れることは、自己を忘れることである。それは他人の目のなか胸のなかで生きることであり、その他者評価はうつろう水もの、振り回されてすり切れること、川を流れる木の葉に同じである。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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