ぼくは家族じゃないから

夜、階下からおいしそうな匂いが漂ってくる。ぼくは二階の自室でドアを閉め切っているが、どこか隙間を縫って入り込む。

話し声が聞こえる。時に笑い声が混じる。夕食で、それは家族の団らんだ。

ぼくはそれを遠く耳に入れながら、ひとり自室で夕食をとる。

ぼくはこの家で間借りをしている赤の他人で、家族ではない。だからぼくは、彼らには近づかないというか、近づけない。

決して仲が悪いわけではない。だけどコロナ禍の今は、他人との接触はタブーだ。

疫学的な話、家族でも他人でも、感染リスクに変わりはない。なんたって、そんなことウイルスが知るわけない。

コロナ以前と変わらぬ様子で夕食をとる彼らの横を、洗濯物を抱えてぼくは、小さくハローと言いながら足早に通り過ぎる。

ぼくは家族じゃないから、そこに長くは居られない。

彼らもアジア系だからか、露骨に避けるようなことはない。だけど今、自宅に他人がいることのストレスは想像がつく。

もちろん、家賃なんかはちゃんと払ってるから、引け目を感じることはないのかもしれない。それでも、申し訳ない感じがする。ぼくはあまりにも他人で、よそ者だ。

2、3日に一度、スーパーにでかける。すれ違う人はみな赤の他人。それぞれが、お互いが脅威で、皆どこか怯えているように見える。

無理もないことはわかっている。だからぼくは、誰にも近づかない。しっかり2フィート以上の間隔を空ける。わかっている。ぼくは家族じゃない。

でも、家族だったらと思う。いやもっと、家族にしてくれないかと思う。だって、家族だったら近づいてもいいし、ふつうに話してもいいし、ごはんも一緒に食べられる。

いっそ養子とか、そんなのでもいい。まじめな話、紙切れ一枚の話だろ? とにかくは家族になれば、家族になりさえすれば。

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新宅 睦仁: 広島→福岡→東京→シンガポール→現在ロサンゼルス在住の現代美術家。美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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